奈良・古建築の旅  室生寺の灌頂堂と五重塔       2016.05.12 

15時46分。本堂(灌頂堂:国宝)です。
建てられたのは鎌倉後期の1308年(延慶元)とか。桁行・梁間とも五間の入母屋造で檜皮葺です。
しまった。横からの写真を撮ってない。

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何故かというと、この蔀(しとみ) で頭が一杯だったんです。なにせ私は檜皮葺と蔀のヲタクですので(笑) そろそろ蔀戸というのを止めて蔀にします。

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築地塀フェチとどう区別をしてるんだって? 築地塀は学術的興味ではなく、感覚的に「は〜たまらん♪」な世界。檜皮葺と蔀は寝殿造研究者としての学術的な関心、拘りに御座います。

二手先 

でも組物も見てみましょう。側柱の大斗から軒先方向に肘木が出て一手目の斗が尾垂木とひとつ目の出桁を支え、尾垂木の先の斗(ます)がその上に乗せる肘木と三斗で二番目の出桁を支えています。二手先ですね。このあとの五重塔は三手先ですので見比べてください。

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それにしてもこの蔀はものすごく無骨。確かにこの建物は鎌倉時代ですが、平安時代でもこれぐらいだったんじゃないでしょうか。

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下の蔀を一間(ひとま)動かすにもこんなものを用意してますよ。夢殿の廻廊と礼堂お見せしたように、下部の半蔀はこのように柱に打ち付けた溝に填めるものなのですが、この半蔀下部は掛け金で止めていました。重くて上に引き抜くのが大変なのでしょう。

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半蔀の上部の一部には板でなくて和紙が張ってあります。 そういうものもあるとどこかで読んだ気はしますが、まさか実物にお目にかかれるとは。感動のあまり言葉もありません。

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やっとの思いで言葉を口にし、中に居たお坊さんに「建築史の勉強をしてるんですが、これだけ撮らせてもらえませんか?」とお願いしたら快くお許し頂けました。鎌倉の禅宗寺院はそうでもないですが、普通本堂内は撮影禁止なんです。解りますけどね。信仰の対象であるご本尊様を写メだなんてって。

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でもこれで内部がどれだけ明るくなるかというと、現代人にとってはほとんど真っ暗です。でも昔の室内照明は灯明ひとつとか二つですから。それぐらいの明るさならこれで取れると思います。これが無ければ、蔀を閉じたら本当に真っ暗ですから。

暗闇って、目がなれると結構見えるもんですよ。ホタルのときなんてライト無しで谷戸を歩き回りますから。

15時56分。
五重塔(国宝)です。文化財データベースには「奈良末〜平安初、西暦:710-1184、構造及び形式等:三間五重塔婆、檜皮葺」とありますが、一般には9世紀と見られています。

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スマートですねぇ。法隆寺の五重塔とは全然違います。もっとも法隆寺の五重塔も建てたころはこんな感じにスマートだったはずです。後から裳階(もこし)が付いたので。それを取ったとしてもこっちの方がスマートだなぁ。まあ同じ五重塔と云ってもこちらはだいぶ小さいんですが。

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地円飛角(じえんひかく) 

法隆寺の金堂や五重塔は地垂木だけで飛槍垂木(ひえんだるき)は使われていませんでしたが、8世紀に本格的な建物として造られたものは、軒は二軒(ふたのき)で、地垂木と飛槍垂木(ひえんだるき)と2重です。

といっても軒先を見たらの話で、飛槍垂木は軒先を跳ね上げるために軒先だけに付けられているんですが。

そして地垂木の断面は円形で、飛槍垂木の断面は四角でした。このような二軒を地円飛角(じえんひかく)と呼びます。これがそうですね。 この塔は時代的には地円飛角の最後のもので、以降は地垂木、飛槍垂木とも断面は四角に変わります。

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三手先 

組物は三手先ですね。手先とは軒先を支える斗の段数です。段数と云っても上下の斗(ます)の段数ではなく、深い軒先を支えようと出している腕、肘木(ひじき)とか尾垂木(おだるき)の段数です。それらの腕が上の腕や軒先の丸桁(出桁)を支えるのに三斗(みつど)を使いますが。
室生寺の図ではないですが『古寺建築入門』のこの図でお解りになるかと。この本は入門書としてとても良い本です。建物の外側の柱を側柱と云いますが、その外側に屋根の垂木を支える出桁が二本あります。一番下の肘木とその上の力肘木を横方向に二段の斗(手)で支え、その全部で一本目の出桁と尾垂木を支え、その尾垂木の上の斗(三段目)で外側の出桁を支えています。これは装飾ではなくて、屋根の深い軒の重さを側柱で支えるための工夫です。

美しく見えるのは「機能的なものは美しい」(by ル・コルビュジエ)からです。

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丸桁(がんぎょう)

そうそう、丸桁(がんぎょう)についても説明しておきましょう。「まるげた」という漢字ですが、(まるげた)とは読みません。(がんぎょう)、あるいは(がぎょう)です。要するに軒桁のことです。側柱(かわばしら)の上が本来の桁ですが、軒桁というのは本来の桁よりも軒先の方に出て軒を支えている桁です。出組(でぐみ)とか、二手先(にてさき)、三手先(さんてさき)は、既に述べたように、深い軒先をなるべく先の方で支えようという手法です。で、その軒を支える軒桁は奈良時代にはほんとうに丸い桁がほとんど、平安時代も丸が多かったんですが、鎌倉時代になるとほとんど長方形の断面になります。でもその軒桁は丸だろうが四角だろうが丸桁(がんぎょう)と呼ばれます。奈良・平安時代のなごりでしょうね。

でもこの屋根は元々そんなに重くはなかったと思うんですがね。今は檜皮葺ですがそれでも瓦屋根よりは軽い。おまけにその前はこけら葺、一番最初は板葺だったそうですから更に軽い。本来の意味は構造力学的な意味なんですが、塔はこうして組むものという定型パターンになったんじゃないですかね。いや、勝手な想像ですが。

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でも綺麗ですね。

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法隆寺五重塔をはじめ多くの塔では、一般に相輪の頂部には水煙(すいえん)、竜車(りゆうしや)、宝珠(ほうじゆ)が付きますが、室生寺五重塔では宝瓶と宝傘(ほうさん)が飾られています。相輪は九輪。

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16時2分。そろそろ終バスの時間が気になりだして戻ることに。わっ、変わった宝篋印塔。

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16時3分。金堂です。あの横筋は何でしょうねぇ。

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16時7分 。
これが本当の入り口の橋だったっんですね。私はひとつ前の橋を渡ってしまいましたが。

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update 2016.06.08