奈良・春日大社.4 参拝所・幣殿と舞殿 2016.05.13 |
廻廊の南門を入ると檜皮葺の二つの建物が。あの入母屋屋根は直会殿(なおらいでん)。良い雰囲気ですね。屋根の形は寝殿造そのもの。でも後でご説明します。 まずはこちらの幣殿(へいでん)から。でもこの建物には「参拝所」と看板が付いてるんですよね。普段は「参拝所」なんでしょう。でも行事においては幣殿と舞殿です。 平面は五間一面。つまり母屋の南側に庇があります。幣殿は本殿に向かって参拝する場所、舞殿も本殿に向かって舞を奉納する場所なので、内と外とを仕切るような壁や蔀(しとみ)は一切ありません。柱だけが立つ開放された土間の建物です。 柱の上には舟肘木(ふなひじき)。斗(ます)は使っていません。檜皮葺屋根ならこれで十分なのでしょう。寝殿造でも同じです。 工法は鎌倉以降のものですね。 そりゃそうです。この建物は元々は平安時代の貞観元年(859)創建だそうですが、現在の建物は江戸時代の1652年に造替されたものですので。でも代々同じように建て替えられてきたんでしょう。 これで床があったら寝殿造そのままですね。 ところがこの建物も着到殿と同じように床が張られたことがあります。その様子は『春日権現験記絵』に描かれていて、関白藤原忠実が参詣した時には土間床に帖を敷いて忠実の座を設けていますが、白河上皇の御幸の折りには板床を張って御簾(みす)を吊るし、上皇の御所を設けています。 御簾(みす)と前庭の臣下の列からちょうど現在の幣殿の位置、東側二間が白河上皇の御所になっているように見えます。春日大社サイトによれば、現在でも春日祭の折には勅使が御祭文(ごさいもん)を奏上する場所でもあるようです。そして屋根の両側の長さから、少なくともこの絵巻が描かれた鎌倉時代末には今と同じように南に庇が着いていたようです。 頭貫(かしらぬき)ではなく貫(ぬき)を使い、その外側に長押(なげし)を打っています。 小組格天井(こぐみこうてんじょう)母屋の東側二間(ふたま)は天井が格天井、いや小組格天井(こぐみこうてんじょう)ですね。格間(こうま)に細かい格子の小組(こぐみ)が入れてあります。この様式は平安時代後期からあるようで中尊寺の金色堂もそうだとか。 幣殿は天皇陛下のお供え物、御幣物を一旦納める処とか。だから天井があるんですね。それにしてもこの御簾。たまりませんねぇ♪ 軒先の檜皮葺はだいぶ厚いですが。破風(はふ)は反っていましが、入側柱(いりかわばしら)の上の桁で垂木の傾斜が変わっています。おや? 良く見ると桁の処で破風も斜めに継ぎ合わされてます。 檜皮葺の下地のような木の部分は蛇腹ですね。平面の板のときもありますが、このように細い板を傾けて組み合わせることも。 何でこうするのかは良く解らないのですが、緩い破風(はふ)の傾斜にあわせる為でしょうか。一見簡素なんですが、手が込んでます。 ちょっと拡大してみましょう。割とスッキリした形です。おや、棟桁は大斗肘木(だいとひじき)で支えていますね。気がつかなかった。 側柱(かわばしら)は普通に舟肘木(ふなひじき)なんですが。 こちらは反対側の方から。 舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物で、天時に神楽や舞楽を奉納する場所でもあるそうです。 向こう二間と扱いが違うので化粧屋根、天井はありません。もっとも白河上皇の頃に向こう二間に天井があったのかどうかは判りませんが。
update 2016.06.09 |