奈良・春日大社.6     移殿と直会殿             2016.05.13 
移殿(内侍殿)と捻廊

御廊と移殿(内侍殿)をつなぐ登廊で、捻廊(ねじろう)と云います。

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御廊と移殿に高低差があり、かつ接続の柱通りがずれるためこの登廊は上下左右に斜行し、柱や垂木、桁等すべての部材がその角度に合わせた捻れをもって建てられているそうです。そのときは気がつかなかったんですが。

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創建は御廊、つまり地面の高い本殿のある一郭を囲む廊が創建された平安時代にまで遡るらしく、鎌倉時代の絵図にも描かれています。 屋根の御廊側は御廊とは別屋根で御廊の庇の下に差し込まれていますが・・・。

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移殿(内侍殿)側はほれこの通り。無理矢理結合させてしまっています。二つ目の写真と合わせて見てください。屋根の上の面は移殿(内侍殿)とつながってるんですよ。おまけにねじれていると。いやはや、何というか、とんでもないことをしますね。檜皮葺師はいったいどうやってこれを解決したんでしょうか。

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これはどの建物の屋根だったか。檜皮を葺いたばかりですね。少したつとあの檜皮の筋が判らなくなります。右上に工事用のパイプが写っていますね。直会殿(なおらいでん)の西側庇かなぁ。

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でも直会殿(なおらいでん)の東側は苔むしてますけど。痛んだ西の軒先だけ修復したんでしょうか。いや、7年前の平成21年8月に屋根全体の葺替えが行われています。だとするとこの屋根は御廊ですかね。それなら平成26年9月から翌年3月までに葺替えです。2〜3年ならこの状態は判りますね。

あれ? 直会殿(なおらいでん)は東を正面とする南北八間、東西四間の建物なんですが、東西両側に庇じゃないんですね。東側が母屋で、西側に庇と孫庇の様子。東に本殿、というか御廊が見えるからでしょう。

でも南から見たときは正しく入母屋の屋根に見えたんですが。良く見ておけば良かった。もう疲れてたんです。

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北側の藤浪之屋(ふじなみのや)へ。 江戸時代までは神職の詰所だったそうですが・・・

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そこに万燈籠が再現されています。

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直会殿(なおらいでん)

直会殿(なおらいでん)に戻ってきました。 左に見えるのが参拝所・幣殿と舞殿です。直会殿(なおらいでん)とは春日祭のときに勅使・弁以下の直会の儀式が行なわれるそうです。だから直会殿(なおらいでん)と。でも直会(なおらい)ってなに? ふむふむ。「神社に於ける神事の最後に、神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事(共飲共食儀礼)」だそうです。

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現在の社殿は江戸時代初期の1652年造替のものですが、神社として必要不可欠な社殿であるため、貞観元年(859)の創建当時から存在したと考えられています。建築様式は平安時代からあまり変わってはいないように見えます。軒は二軒(ふたのき)ではなく、化粧垂木だけ。丸桁(がんぎょう)もありません。長押(なげし)が打ち付けてありますが、その裏に貫(ぬき)が隠れているようです。下にちょっと見えますね。

ここの屋根は上はつながってはいないのですが、下から見ると境目を雨樋で受けてつながっています。

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舞殿を通して本殿中門を仰いだところ。

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左が直会殿(なおらいでん)です。柱の上の舟肘木(ふなひじき)で直接桁を受けています。このあたりは寺院建築ではなく寝殿造系の建築様式ですね。寺院建築は中国伝来の文化、それに対して神社建築と寝殿造は日本風の建築ということでしょうか。

そういえば前者は瓦葺きが中心、後者は檜皮葺中心ですね。もちろん融合している部分もあります。あの廻廊とか御廊、上に見える中門の朱塗りは中国文化を取り入れたものです。でもそれは神様の場所で、人間の場所は直会殿(なおらいでん)にせよ幣殿・舞殿にせよ、白木造りのままです。もっとも『春日権現験記』では朱塗りに描かれていますが。

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檜皮葺の断面サンプル

檜皮葺の断面サンプルがありました。図面ではおなじみなんですが、実物サンプルはやはり実感がわきます。我々が外から見る檜皮葺の厚さは軒先一尺ぐらいだけなんですよね。実用上はあまり意味はありません。装飾です。いったいいつからなんでしょうか。

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私は桔木(はねぎ)の発明以降、つまり桔木(はねぎ)の分のかさ上げではないかと思うのですが。桔木(はねぎ)の発明は平安時代末期に遡るとしても、それが切実に必要だったのは重い本瓦屋根であって、檜皮葺屋根にまで桔木(はねぎ)が使われたのはだいぶ後の時代ではと思うのですが。

あの巫女さんの後ろの髪飾りは面白いですね。三重の輪。どうやって付けるんだろう?

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もうひとつ不思議だったのがあの衿。拡大して見たらただの模様じゃなくて本当に重ね着状態に衿が重なってる。でも八枚も着ているようには見えませんよねぇ。十二単もこういうものだったのかしら?

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砂ずりの藤です。 花房が1m以上にも延び、 砂にすれるということからこの呼名とか。
摂関近衛家からの献木と伝えられ、『春日権現験記』にも書かれている樹齢700年以上の古木とか。でも花は終わっていました。

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右が直会殿(なおらいでん)、左が西廻廊です。ふ〜、これで春日大社の撮影は終わった。
もう10時3分ですぜ。1時間半かけて871枚撮影。といってもこの日は一押し三枚設定ですが。

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それにしても午前中に奈良市街東域を終わらせて午後は西京(さいきょう)のつもりだったのに1時間半も使ってしまいました。大丈夫だろうか。(;^_^A アセアセ

自転車に乗って境内を出ようとしたら、そうだ、連署から鹿の写真の注文があったんだ。とバシャバシャ。パチリじゃないのかって? 三枚連写ですから。

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やっぱり鹿は女の子や子供達が居ると絵になりますね。子供達と云っても中学生の修学旅行みたいですが。だって平日だもん。それにしても半世紀前の私の修学旅行は制服でゾロゾロだったんですが。今の子達は良いなぁ。わっ、10時14分だ。急がなきゃ!

update 2016.06.11