奈良・元興寺.2 小子房と禅室の行基瓦 2016.05.13 |
極楽堂・禅室の南側に県指定文化財の小子坊があります。極楽院の旧庫裡とか。極楽院て何だって? 元々の大元興寺が衰退してバラバラになって、南北朝時代にここが西大寺系になったときの名称が極楽律院。そのことでしょう、多分。 小子房で検索すると東寺の小子房が出てきて、えらい立派なんですが、あれは何でしょうね? 法隆寺の小子房(妻室)で説明したように小子房とは大房と並立して、大房に住む上級の僧に使える下級の僧の僧房です。元興寺では現在の極楽堂・禅室がつながっていた頃が大房で、それとセットの小子房は北側にあったはずです。 元興寺サイトによるとその禅室の北側にあった東室南階小子房の一部を改築して北厨房あるいは台所とし、更に寛永三年(1663)に極楽院庫裏として改築。昭和24年(1949)に本堂の南側に移転増築して極楽院保育所。さらに昭和35年(1960)に現位置に移動して復旧とか。つまり何回も建て直されて場所を移しているので、もともとの小子房とはだいぶ違います。ただし建て直しと云っても新築ではないので古材をだいぶ残しているそうです。 お抹茶があるというのでその奥、西側でお茶を頂きました。 とそこに長老から携帯に電話が。焦った−。お茶室ですよ、一人しか居なかったから良いけど。マナーモードにしていなかった私が悪いんですがね。(;^_^A アセアセ
このお干菓子、和三盆のように見えるでしょ。もちろん和三盆も使っているんですが、吉野の葛を使ってるんです。葛って、それ自体の味はあまり無いのですが、でも不思議な甘さ。 亭主役のご婦人とお話をしているときに、こちらの本堂には昔の形の障子があって、と云いながらふと見たら・・・、ここもだ! お許しを得てちょっとずらして証拠写真です。判ります? ひとつの溝に二枚の障子。緋毛氈がちょっと邪魔ですが。 お茶を頂いたあとで土間部分に戻ると、なんか飛騨高山の町屋の天井みたい。 小子房だった頃の梁とは思えない。厨房に改築したときか、あるいは庫裏として改築したときか。それでももう何百年だけど。もっと新しい? 舟肘木(ふなひじき)を使っています。このあたりは小子房時代の雰囲気が。 再び外へ。それにしても見慣れた五輪塔。おそらくこちらが本家本元でしょう。 こちらは禅堂の屋根。右と左で違うでしょ。 こっちの写真の方が良く判る? 左は普通の本瓦です。そして右はそれより古い行基瓦。 でも行ったときには大昔の瓦は禅堂の屋根の一部だけと思ってたんですよね。
そして馬道(めどう) 。 禅室。大きいですよね。でもこれは四つあった僧房のひとつの更に一部なんです。 元の元興寺がいかに大きかったか判りますね。
update 2016.07.09 |