奈良・古建築の旅 薬師寺の二棟廻廊 2016.05.13 |
実際に見に行ったのは上にあるように5月のこと。でも今は8月16日。たった二日の撮影旅行のコメントが3ヶ月経っても終わらない。まあそれだけ奈良の古建築は濃いいということなんですが。 唐招提寺の南大門脇の道を南下すると突き当たりが薬師寺なんですが、突き当たる前の左側も薬師寺です。ちょっと雰囲気が違いますが。 私的にはとっても好きな古びた門。 そして崩れかけた築地塀。これから見る薬師寺とは大違い。でもここも薬師寺法光院。向こうに見える門の先は世尊院です。再建前からの薬師寺の塔頭でしょう。 かなり荒れた寺だったこの薬師寺を、金堂を建て、塔を建て、次々に復興していったのは高田好胤管長ですが、私は中学の修学旅行で説明を受けたのを覚えています。正確にはそのあとテレビを見ていたら高田管長が出てきて「あっ、あのときのお坊さんだ」と思ったのを覚えているんですが。その高田管長が住んでおられたのが、ここ法光院なんだそうです。 江戸時代の建物で隙間風が大変寒く、畳の縁(へり)がもうすり切れてボロボロ。あまり酷いので、高田管長が十日ほど出かけたときに時に畳表を替えてしまった。ところが高田管長は帰ってきて部屋に入るなり、「畳、誰が替えた!」「元に戻せ!」 と烈火の如く怒ったと。 暫くしてきっと建築中の金堂の前でおっしゃったのでしょう、「今大勢の方々にお写経ということを通して、このお堂を建てて貰っているんや。なのに枕を高 くして、ぬくぬくと良い部屋で寝るわけにいかんのや。だからこの畳の削れてボロボロになった畳が、一つの励みであるので、そのための畳みだったんだ」とおっしゃったとか。
その先(南)にある冠木門から玄奘三蔵院伽藍の方へ入れます。 こちらが玄奘三蔵院伽藍。入りませんでしたが。 養徳院。 この門を出ると、道の向こうに金堂を中心とした伽藍があります。 この先が地蔵院。 東僧坊なんですが、これはコンクリート? これは江戸時代でしょう。良くは判りませんが。 二棟の廻廊見えてきました。二棟の廻廊です。西岡常一棟梁の作ですね。 なにしろ今回の私の目的は第一に二棟廊、次ぎに蔀(しとみ)です。金堂よりもこっち。 廻廊と云っても本当に閉じた廻廊にはなっていません。将来つなげるつもりかどうかも知りません。このままにしとくんじゃないでしょうか。 講堂の脇の二棟廊は連子窓(れんしまど)のある壁は金堂の反対側、北側で、二棟の下は素通しです。私の目的、寝殿造の参考としてはもってこいですが、西岡棟梁がなんでこうしたのかは判りません。
それにしても、この朱色と連子窓(れんしまど)の緑にはどうも感覚的に拒絶反応が起きそうです。いや、仏教建築、というか中国建築はこれが正しい姿というのは知ってはいるんですが。西岡棟梁は「時間が経てば落ち着いた色になる」と仰っていたそうですが。 廻廊の端の門です。 廻廊がそこで途切れているので、現状では門の意味はあまりありませんが。 外側の廻廊。 その柱です。よ〜く見てください。 update 2016.08.16 |