建築史・京都編 三井寺の金堂 2018.04.20 |
初期書院造の敗退で目的を失ってしまいましたが、気を取り直して他の建物を。 光浄院から戻ってきたので、これは金堂の裏。 こちらが正面。 少しずつ近寄っていくと・・・ 確かに桃山時代を代表する名建築と云われるだけのことはありますね。 重厚。 でもあの蟇股(かえるまた)はやはり桃山時代ですね。私は好きじゃありません。 何の話だって? いや、今日自転車のことで妹に言われたんですよ。バウハウスは私が学生の頃心酔していた機能主義デザイン発祥の地のことで、長いこと忘れていたので心底ギクッ!っとしました。まさかそこを突かれるとは。(;^_^A アセアセ この階(きざはし)の踏み板を見て下さい。板じゃなくてほとんど正方形。贅沢してますねぇ。平安・鎌倉の時代なら解りますが、この時代(桃山時代)の製材には鋸はもう普通に使ってますぜ。 西側の側面です。屋根がお隣と作合? 何だっけ、三手先だっけ? いや二手先か。でもこの金堂は檜皮葺でしょ? 要るんですかね? 桃山以降の装飾もじわじわと侵入してはいますが、基本構造は平安・鎌倉頃の構造を受けついでいますね。 蔀ではなく遣戸なんですが、舞良戸(まいらど)ではなく蔀と同じ格子状です。いつ頃の格子でしょうか。良く見て下さい。横木は何度も拭かれたためでしょうか、すり減って直線じゃなくなっています。 こちらは脇の鐘楼。禅宗じゃなくても禅宗様ですね。 禅宗様と云っても、禅宗と同時に南宋(中国)から伝わった中国南部の建築様式ということで、禅宗の教義に関わる様式ではありません。 でも最近チラ見だけで禅宗様と解るようになった。(笑) |