寝殿造 7.2.5 中世の小御所 2016.12.99 |
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伏見殿門跡・青蓮院の里坊・十楽院土御門東洞院殿(1337-1401)小御所小御所では100%棟分け戸の裏側の世界である。平安時代、そして鎌倉時代でも冷泉富小路殿などでは母屋と庇の関係はまだ維持されていたが、南北朝期には全く姿を消している。 北山殿小寝殿応永度(1402-1443)内裏応永度小御所応永度の小御所は焼失前の小御所よりも小さくはっているが、焼失前には寝殿ひとつで紫宸殿と清涼殿を兼ねていたものが、その二つを別に建てたことにも関係するのかもしれない。紫宸殿の平面図は省略するが、先に述べたように、敷地は倍の方一町に拡大しており、殿舎としてはより多く、内裏としての体裁を整えている。 康正度(1455-1457)内裏奈良・禅定院 会所初稿 2016.12.99 |
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