銭洗弁天お帰り編.1 大仏次郎邸 |
バス通りを越えると、車では入れないような小径になるのですが、良い感じでしょう。 若宮大路幕府舊蹟 でもちょっと違いますね。宇津宮御所はこの小径を左にずっと進んだ宇津宮稲荷のあたりなのですが、1236年にそこから再移転したとき、この写真のを撮した場所の後ろ(と写真の右)が三代執権北条泰時の館、写真に写っているあたりから写真右一帯はその孫で4代執権となった経時(その父は早死)の館があったと考えられています。若宮大路御所ではありません。まあ、大正時代にはそこまで細かい研究はされていなかったので、石碑もここに限らずアバウトに建てやすいところに建てたふしが。 が、そんなことはお散歩にはどうでもよろしい。この黒塀は良い感じだと思いません? 粋な黒塀〜見越しの松〜に、あだな姿の洗い髪〜♪ 死んだはずだよお富さん〜♪ てな感じで。おぉ、本当に見越しの松が! は〜、ええ路地裏じゃなぁ〜、と好んでここを通っていたのですが、そのうちここの門の前で良く人力車が止まっていることに気が付きます。さりげなく聞き耳をたてていると、おお、ここがあの有名な小説家、大仏次郎氏お宅だと言うではないですか! とまあ、そういう訳で(?)私は文学青年ではありましたが「純文学」専門で、「大衆小説家」であった大仏次郎は読んだことが無いので御座いますよ。 (,_'☆\ ベキバキ 確かに「おさらぎ」と表札が、これを見落としたのが敗因であったか! 「野尻」と言うのはご本名だそうです。 それはそれとして、こちらのお宅はご遺族の方が土日に公開されていて、お庭やお座敷でお茶を頂くことが出来ます。
喫茶店と考えたらえらい高いですが、維持費のカンパと考えれば安いものです。お住いになっている訳でも無いでしょうに、こうして維持されるご苦労は大変なものかと。 今となっては珍しい藁葺き屋根。しかしご存命の頃は建物としてはごく普通のお宅だったのでしょうが、屋内はとても落ち着いた良いお宅でした。
実はこちらのお宅は年に1度、鎌倉風致保存会によって無料公開されます。大佛次郎はその鎌倉風致保存会の設立発起人となり、初代理事にも就任し大きな貢献をなさったそうです。そおいえば川喜多邸の公開も鎌倉風致保存会のボランティアの方達でしたね。 こちらの画像は一昨年の2003年4月のときのものですが、カンパをするとボランティアの方がお抹茶を出してくださいます。このお庭の桜も見事でした。 |