西上州道普請.4  十石峠から西上州への下り  07.05.04

さて、腹ごしらえも済んで、水も補給していよいよ下りです。このわぎさび2世号は5年前にここまで来たことはありましたが、西上州には下りずに宿の海瀬館に戻ったのでこのわぎさび2世号にとっては初めてのルートです。

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とはいえいばらくは下ったり上ったりでさほど高度は下げないのですが。

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十石峠の標高は1356mぐらい。直線距離で1.3kmのここ水の戸が1335mぐらいです。
ここは今はただの広場ですが、以前は多分林業の作業小屋、休憩小屋? がありました。私が初めて行ったころは既に廃屋状態でしたが道普請の最初の頃、栂峠をやっていたころはその小屋に泊っていたように聞いたと思います。

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しかし「水の戸」という地名はどういう謂れなんでしょうかね。

想像ですが西上州楢原村(現上野村)から信州佐久へ抜ける旧十石峠街道の水場で休憩用の小屋があったんじゃないでしょうかね。「水の戸」とはこの場合「水場の建物のある処」と言うような意味だと思います。外しているかもしれませんが。もっとも茨城県の「水戸」も「港(みなと)」の語源も「水の戸」でその場合は海または湖の出口と言う意味なんだそうですが、ここに有るのは湧水だけです。
さすがに文献上の初出までは知りませんが、十石峠街道は江戸初期にはあったはずですので、その山道でも貴重な水場でありまた後には峠道の茶屋があったと言われています。それがいつ頃の話なのかはわかりませんが。

もうひとつ、ここ水の戸は楢原の白井関から十石峠への道筋だけではなく、同時に栂峠を経由して現在の小海へ抜けつ分岐でもありました。水場であり分岐でもあるということで、最初は無人の休憩小屋、後には茶屋という条件は揃っているように思えます。


その水の戸の桜もまだ五分咲き? なんかちっちゃい花でした。彼岸桜よりまだ小ぶりのような。

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そこからはほぼ一直線の下り。ここをノーブレーキでかっ飛んで行くのですが、それは私の場合はスピード狂だからでは無くて、その余勢でその向こうにある登り坂を楽して登るためです。

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ちょっと日陰で写真うつりは悪いですが、山躑躅がきれいでした。

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さて、その先、標高1268mぐらいの処で黒川林道と矢弓沢線の分岐点があります。5万図では矢弓沢線はまだ書かれてはいず、急なV字型ヘアピンカーブに見えるところがそれです。あれ? 下の地図看板には黒川林道が国道299になっている。ほんまかいな? というか今はそうなってしまったのでしょうか。

8年前に私が初めて余地峠、十石峠を越えてこの地図の「起点」あたりにある民宿に泊まったときに、その家のおばあさんから旧十石峠街道は山の斜面なので台風ですぐに倒壊して、その修復が大変だったので黒川林道が出来てからあまり使われなくなって、その後、新しい車道の矢弓沢線ができて全く使われなくなったと聞きました。もともとは黒川林道も矢弓沢線(林道)も無かったので国道299は実はこの旧十石峠街道だったはずなのです。

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さて、地図を確認してからちょっと戻って私はこちらの地道を。これが旧道であったかどうかは定かではありませんが。でも地道だから。すぐに舗装路に合流するんですけどね。

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矢弓沢線(林道)からの遠望はなかなかです。

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ところで、5万図にも2.5万図にもこの下の萩沢・北沢の川沿いに破線の道が書き込まれているのです。でもこの西上州を庭のようにしている山サイ研の猛者達はそんな道は知らないと。これは吾輩が名を上げるチャンスとばかりに昔探検しに降りたのがちょうと自転車の右側の作業道です。

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結果ですか? 散々な目に逢いました。先は正に荊の道、いや、単なる形容詞ではなくて本当に荊が生い茂って、道の跡を塞いでいました。しばらくは我慢して苦労して突き進んだのですが、ついに断念。


そこから更に車道を進むと、この階段の上が旧道です。つまり旧道は車道工事のために削り取られてしまったんですね。以前にここも道普請をしたことがあり、また前回O前さんと自転車でここに来たときはこの階段を登って旧道を走ってみましたが、すぐにまた車道に戻ります。江戸時代以前の道がどういう処を通っていたかを知るには良いところですが、自転車で走って楽しいかと言うと、楽しむほどの距離はありません。

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その先のここ。
嗚呼、涙涙でございます。先の新ルート開拓のつもりが荊で痛い目にあって敗退。全部戻るのも癪なので途中から道を変えて最後は直登して這い上がったのがここなんです。

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そのまた少し先に石仏が。さっきの旧道はここに降りてきます。

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さらにその先のこのあたりからまた旧道の跡が残っています。

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8年ぐらい前に我々がやった道普請の跡です。けっこうもってますね。

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しばらくは快調に下ったのですが、ギャー! 通れたもんじゃありません。人が通らないと山道はすぐにこうなります。お前ルートを間違えたんだろうって? いや、本来の昔道、たとえば鎌倉道だって昔の道はこう言う形につくりますぜ。ただ鎌倉道なんかについては軍勢の移動が見えないようになんて説もどこかで見ましたが、そりゃ妄想とたいして変わらないでしょう。

この先でさらに倒木が完全に自転車を塞ぎ・・・・。今回はそもそも道普請のために来ているんですからデカサドルバックの中には手斧も鋸も持っています。どうしようもない倒木は切ってやろうかとも思ったのですが、でも上野村に話の通っている道普請は明日。今日やっては無届な勝手な行為になってしまいます。と言うことで手を付けずに苦労して通過。

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ありゃ、こんなところへ出ちまった。

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ちょっと戻って、ここから降りてきました。

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そこからまたちょっと下ると。おおっ、ここだここ。この下が旧十石峠街道ロングコースの入り口です。

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