2012.9.29 11.3 高井戸の家・南側調査 |
さて、その旧岩田家屋敷跡(あれが屋敷かい!)の推定地が変更されたのは以下の調査によってで御座います。ワコール八幡山の次ぎの角です。 その角を曲がったところ。 その路地の右側にこんなお宅を見つけた妹が「あの家は50年前からありそうじゃない?」と。表に回って表札を見たら、「これ井上さんちだよ!」、「??」。言われたときはまだ思い出さなかったんですが。家に帰ったら母が「家から畑道を真っ直ぐ行ったら井上さんとこの裏木戸だった」と。 そう言えばうちの母はその井上さんの奥さんに誘われて一緒に能の謠(うたい)を習いに行ってなかったっけ。そのおかげで私も観世会館に能を見に行ったことが。息子さんが二人いて、妹なんかと同じ学年とか。だから私には記憶が薄くて、妹はすぐ思い出したんでしょう。母の言うには我が家と違ってとても秀才な息子さんで、東大だか慶応だかに入ったとか。「我が家と違って」は余計だと思うけど。フキフキ ""A^^; するていと、あの家あたりが40年ちょっと前の建売りか? 新しそうじゃない。 もういちど地図をお見せしましょう。緑で囲った範囲は確かこれぐらいは畑だったはずというもので、脇に行くほど正確ではありませんが。
その南に送電線の鉄塔を発見。このあたりは野っ原でした。飼っていた兎の大好物が生えていて、兎を連れていくと一生懸命食べてましたね。あの送電線の向こう側、左のクリーム色の家との境がザリガニ池につながる用水路で、菖蒲が沢山植わっていて水が澄んでいました。 あの鉄塔の1段目から飛び降りて遊んでいたんですよね。あんなに高かったとは。下が柔らかい土だったんで飛び降りられたんですけど。よくやったよねぇ。鉄塔を見上げているのは二番目の妹です。 今は分譲で家が建っている最中ですが、Googleの航空写真(つまりちょっと前)ではこのあたりは畑とか野原です。緑の部分と左右の家のある部分で地主が違うのでしょう。 上の地図と比べてみてください。 その鉄塔の前からの我が家の方です。右の白い家は建ったばっかり。まだ人も住んでいません。その向こうに見える住宅群が先の地図の「建売1」群。中央左に見える広い煙突は高井戸のゴミ焼却場の煙突でしょう。その左側に見えるグレーのマンションがワコール八幡山? その向こう側に我が家があったことになります。
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