鎌倉一揆 今年初の浄光明寺 2018.04.08 |
本日は竹御所主催の鎌倉一揆。 そう言えば、竹御所は去年も忍性さんに呼ばれてなかったっけ? 「そういえば今日はお釈迦様の誕生日(灌仏会)だったんだ〜!」と云ったら竹御所に、 竹御所談:「怒ってはいません。呆れただけです。」 桜はほぼ散っていましたが、この枝垂桜はまだちらほらと。 観音堂で土紋装飾のほとんど落ちた観音様にお参りしたあとで早速裏山へ。 見えてきました。網引地蔵やぐらです。 更に登ると冷泉為相の供養塔なんですが、説明はこれで省略。もっと詳しくはこちらを。 その後ろのやぐらです。やぐらのマンションでもあります。良く見て下さい。小部屋が沢山掘られています。こういう形式はこの近くにもうひとつあります。 浄光明寺の南側、泉ヶ谷・東林寺跡のやぐらのアパート状の龕(がん)です。ここまで来ると龕(がん)と呼んでよいものかと。 更に奥へ。 「お〜い、そろそろ下に覚賢塔が見えるよ〜!」と声をかけたのにみんなわかんなかったみたい。 確かにチラットみただけじゃ判んないよね。 これが覚賢塔。 記念写真ではありません。 でも3mって、台座から上だったよねぇ。 戻ってきました。 その供養塔の前はビューポイント。お墓の立地条件としては最高ランクですね。目の前の海は相模湾なんですが、その向こうにうっすらと見えるのは何? という話になって100円ショップで買ったキーホルダーの磁石を始めて使いました。で、答えは伊豆半島です。 更に戻って浄光明寺境内へ。 執権奥様が寺男さんから北条守時の墓と聞いたと。「は〜ん? あれは僧侶の墓塔でしょうが!」と云ったら、置いてあるのは後付で江戸時代のものと云われたと。それなら良いけど。 2年前の「鎌倉の文化財、その価値と魅力〜比較研究から見えたもの〜(中間報告)」 連続講座第4回「やぐらの広がり」の会場がここ浄光明寺だったけど、そんなこと聞いてないよ。 そんな話があったのでまじまじと覗いていたら、竹御所が何か模様があると。う〜ん、確かに。 こっち側の方がクッキリ残ってますね。
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