寝殿造 1.2.3 外壁3・寝殿の室外 2016.9.6 |
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寝殿の室外庇の蔀戸、または妻戸の外側の意味である。当時は身分により何処まで上がれるかが決まっている。最初に中門廊の中に入れるか。次に床の上に上がれるか。その床の最初が簀子縁。そして寝殿や対(たい)の柱の中、弘庇があればまずその弘庇。次ぎに蔀(格子)の中(室内)。最後は母屋に入れるかである。 簀子縁(すのこえん)寝殿や対(たい)の格子の外側、庇の外側には簀子縁が巡らされる。単に簀子(すのこ)とも云われるが、現在のすのことはちょっと違う。板の間に隙間は無い。今で云えば濡縁だが、今の濡縁と違うところは、幅が広く廊下の役目を果たし、上級の邸宅では高欄が付く。 法隆寺の元僧坊・三経院の簀子縁 全ての屋敷の簀子縁に高欄がある訳ではない。 唐招提寺の元僧坊・礼堂(らいどう)の簀子縁。段差がある。 床は庇より下長押(しもなげし)一段低くなる。弘庇も庇よりも床が一段下がり、他の面の簀子縁と同じ高さになる。その弘庇にも簀子縁が付くが、庇に付く簀子縁と、弘庇に付く簀子縁には同じ簀子縁でも 一段段差が出来る。『年中行事絵巻』にある東三条殿東対での大饗(臨時客)のシーンにその段差が描かれている。宴席は奥と手前に分かれている。手前が弘庇で殿上人の座。奥が庇で主人座と公卿座。庇の西側(左)に妻戸があるが、その外の簀子縁を見ると、弘庇(手前)側左の簀子縁との境に段差が描かれている。 『年中行事絵巻』巻六・大饗 寝殿の前面・階と南庭寝殿の南中央には中庭に下りる「階」がある。屋根はそこだけ張り出しこれを「階隠」しという。「階隠」も誰でも付けられた訳ではない。大臣以上である。 『年中行事絵巻』巻三・闘鶏 お寺の本堂や神社でおなじみのものである。下は建長寺の方丈。 南階が寝殿への出入り口として使われるのは公式行事のときである。平安時代後期の東三条殿では正月に諸卿以下の拝礼(摂関家拝礼)を受けた後主人が寝殿にあがるとき。院御所に拝礼に向かう場合と「賀茂詣」、「春日詣」の三つの場合がかなりの部分を占めている。そのほかでは例えば新築の寝殿に主人が初めて入るとき、正月大饗、任大臣大饗などの公式な祝賀会で尊者(主賓)と主人が登るぐらい。その寝殿の主人でも通常の出入り口は中門から中門廊経由である。 寝殿は母屋、庇、そして簀子縁という同心円のゾーン分けで、簀子縁と庇の間には頑丈な蔀(格子)と妻戸に守られている。 初稿 2015.10.31 |
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