寝殿造 1.3.1 寝殿の室礼1・御簾、帳 2016.9.14 |
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室礼(しつらえ)の主な要素御簾(みす)下の二つの画像は法隆寺・聖霊院の御簾である。簾(すだれ)の高級品と思えばその効果も納得できよう。暗い中からは明るい外が見えるが、外から中は見えない。 現在なら窓に簾を降ろしても、夜になれば外から丸見えになるが、寝殿造の時代に電灯は無い。
12世紀中頃成立の『年中行事絵巻』巻3「闘鶏」には三間四面と見られる寝殿が描かれている。南面は全ての蔀戸を上げ、東三間では御簾もあげて男性陣が闘鶏を見物している。 内二人は簀子縁に畳みを敷き、そこで観戦している。柱の向こう、下長押(しもなげし)一段高い庇の間の三人よりも下位の者達だろう。西側二間は御簾を下ろし、その内側に几帳(きちょう;後述)を立てており、主人の家族なのか女房達なのか、4人の女性が御簾の隙間から庭の闘鶏を見ている。 こちらは推定13世紀末の『枕草子絵巻』にある室内の室礼(しつらえ)としての御簾である。
帷(からびら)類、つまりカーテン几帳(きちょう)下の図は「丹鶴図譜」に描かれる几帳の説明図である。左が内側。土居(つちい)と
いう四角の台に2本の丸柱を立て、横木を渡して、それに帷を紐で吊す。右の図が外側。夏は生絹 (すずし) 、冬は練り絹を用いた。帷は部分的に縫い合わせるが、中央部は縫わずに、そこから外を覗くことが出来る。冒頭の寝殿西二間のように絵巻物でおなじみのシーンである。要するに持ち運び可能な低いカーテンと思えばよい。高さ4尺、幅5尺(反5幅)のものを四尺几帳、高さ3尺、幅4尺(反4幅)のものを三尺几帳という。ただし帷の長さは几帳の高さより二尺から二尺強長い。先の絵の寝殿西二間の御簾(みす)の下から出ている白と黒の布が几帳の裾の二尺分である。
「闘鶏」の場面の寝殿西二間と同じ使われ方だが、こちらの『春日権現験記絵』のシーンの方が解りやすいか。開放した蔀(格子)の内側には通常御簾を下げ、更にその内側に四尺几帳を置き、垂らした裾を御簾の外側に出す。几帳の上はちょうど窓のようになり、御簾越しではあるが外光が差し込む。四尺几帳では身長には足りないが、床が高く、かつ立つことはあまり無いので庭からは中が見えない。もっとも室内の方が圧倒的に暗く、御簾だけでも十分見えないが、几帳があれば確実に見えない。四尺几帳の一番多い使われ方がこの絵の状態である。 三尺几帳は主人の座などに多く使われる。例えば後で出てくる『松崎天神縁起』の奥方の脇のようにである。 壁代(かべしろ)壁代(かべしろ)は几帳から台と柱を取って、内法長押(うちのりなげし)に取り付けたカーテンである。もちろん約3mの柱間を覆うのだから横幅も丈も几帳に使うものよりかなり大きい。『類聚雑要抄』巻第四には「壁代此定ニテ、七幅長九尺八寸也」とある。壁の代わりなんだからカーテンと云うより現在のアコーディオンカーテンの役目に近いか。 軟障(ぜじょう)と幔(まん)軟障(ぜじょう)は下の絵では左側の唐絵が描かれている幕である。軟らかい障害物。そのまんまだ。 『年中行事絵巻』巻五「内宴」に描かれる綾綺殿(りょうきでん)の軟障(ぜじょう) 壁代との違いは、壁代は几帳と同様に上下の中間を縫い合わせず、外が覗けるようになっているが、軟障は完全に視界を遮る。運動会とかお葬式のときに野外で使う幔幕(まんまく)、つまり上の絵では右下の幕のように、縦幅でまだら模様に長く縫合せたも幕は「幔」(まん)と云うらしい。 第二次大戦争中日本人の家屋は「紙の家」とか「竹の家」と云われたそうだが、平安時代以前においては違う。「布の家」だったのだ。それが平安時代末期を境に「紙の家」へと変わっていった。それが次に説明する障子である。 初稿 2015.10.31 |
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