寝殿造 2.4.2 寝殿造の外郭・門 2016.11.07 |
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門内裏や寺院の大伽藍には十二脚門、八脚門、更には法隆寺中門のような二重門もあるが、摂関家邸や里内裏まで含めて、最上級でも四脚門。通常の寝殿造でははそれ以下、未満である。 四脚門平安時代から中世にかけて、格が高いのは棟門でかつ四脚門(よつあしもん、しきゃくもん)である。公卿の中でも大臣クラスが四脚門を持つ。絵巻には『年中行事絵巻』の天皇が父後白河上皇の住む法住寺殿へ朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)するシーンに描かれている。現在も奈良で良く見かける形の四脚門 だ。 ちなみに四脚門とは柱が4本ではない。門柱の前後に控柱を2本ずつ、合わせて4本立てたものをいう。従って柱は6本である。下の画像は法隆寺東院伽藍の西門だが、立派な門で、前面に控柱が見えれば四脚門と思って良い。後ろだけに控柱があることはあっても、前だけにだけに控柱があることは無いからである。 後ろだけに控柱がある門は江戸時代の薬医門(やくいもん)とか高麗門(こうらいもん)が該当するが、この時代には見られない。 棟門次ぎは唐招提寺・御影堂の棟門である。棟門は四脚門に次いで格が高い。寝殿造では事実上築地塀とセットで、築地塀が前後左右の揺れを吸収している。『松崎天神縁起』にある天神社の門とほとんど同じ構造であることがこの写真で判る。
下は『松崎天神縁起』に描かれる参籠・参拝者が潜る天神社の門。 現在残る棟門は高麗門形式を含め、後ろに控柱を持つものがほとんどである。そうでないとこのような大きな門を支えられない。 唐門唐門は棟門より格が低い。現在では左右に唐破風のあるこの様式は平唐門と分類される。鎌倉では英勝寺に平唐門があるが、寺院には正面に唐破風のある向唐門(むこうからもん)の方が多い。円覚寺や建長寺では方丈や舎利殿の正面にある。どれもこれでもかというぐらい装飾が施されているが、平唐門ではなく、唐破風が正面にある向い唐門である。寝殿造の時代には無い。向い唐門が上げ中門のように格の高い門と見なされるようになったのは、近世かそれに近い頃ではなかろうか。 『吾妻鏡』には将軍御所に棟門と唐門が出てくる。誤解されがちだが、あの時代には棟門の方が格が高い。 土上門院政期の諸大夫の屋敷を描いた『松崎天神縁起』の絵にある門は「土上門」である。形は似ているが唐門より格は低い。格の高い屋敷では使用人の門などである。 実物はひとつしか知らない。おそらく唯一の遺構だろう。法隆寺西伽藍の南大門を潜って左側の塔頭の通用門である。この塔頭の正門は北側の四脚門 である。この土上門のすぐ右に唐門があるが、その唐門よりもこの土上門の方が一回り小さい。同じ築地塀の左側の少し離れた処に棟門もあるが、大きさは、棟門、唐門、土上門の順である。格の違いは門の大きさに素直に現れている。 ちなみに現在は土ではなく、檜皮葺になっている。土と云ってもただの土ではなく、築地塀の土や、壁土のように粘土を使い、木舞を混ぜるなどしていたのだろうが、どうやっていたのか判らず、復元出来ないとどこかで読んだ気がする。しかし木部の構造は絵巻に有るとおりである。 西礼の家と東礼の家堀河殿は先に述べたように西に堀河大路、北に二条大路、東を油小路に囲まれた敷地である。従って西と東を比べれば当然西がメインの西礼の屋敷となる。堀河大路に開いた西門の正面の西中門廊。その中庭の北に侍廊、南に車宿と随身所という絵に描いたように典型的な配置になっている・・・ 南門今は保留。 初稿 2016.2.28
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