大分前のツーリングなのですが、某画像掲示板の転載ページしか無かったので、今は無きNIFTY自転車フォーラムFCYCLE山紫水明会議室の過去ログと未公開の画像で再編集してみました。最後の方は書きかけ。目次も兼ねて日程は以下の通り。
小渕沢駅の宿
FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ計画」 Date: Wed, 07 Aug
2002
事の発端は会社でちゃんと夏休みを取りなさいと言われてしまいましてね。
大昔なら海外ダイビングとか喜びいさんで飛んでったのですが、いまやそんな財力は有りませぬ。フキフキ
"A^^;
ともかく1週間自転車で暇を潰そう、でもホントに7日〜9日だと長すぎるから平日4〜5日ぐらいにしよう、歳なんだから疲れることは止めよう、絶対に頑張らないでのんびり走って楽しそうなところは何処かしら? と考えて、思い付いたのが小海線であります。
でも小海線て90kmぐらいしかないんですね。頑張っちゃったら1日で終わってしまう。う〜ん。ここが工夫のしどころ。(笑)
ラン補・画像掲示板 信州小海線ロングポタ: 賄い岩田 2002.09.07
信州小海線ロングポタに行ってきました。(^o^)
小海線て90kmぐらいしか無いんですがね。それに4日使って5日目は上州下仁田まで。
コンセプトは
@絶対に頑張らない!
A道草しほうだい!
これでやんすね。(笑)
実は9月1日はHiSさんの結婚披露宴。そこにツーリング装備のまま出席して、終わってから、向かった先は甲斐の国小渕沢。こちらは終電もとっくに終わった小海線のホームです。そんな時間に何でって? 寝るためですわいね。決まってるじゃないですか。当時NIFTY.FCYCLE8番会議室に書いていたのかこれ。
FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ計画」 Date: Wed, 07 Aug 2002
小淵沢から小海線に、というのは1度だけあります。初めて十石峠を越えて上野村の道普請へ行ったときです。以降は全て佐久平まわり。
小海線ホームの待合い室で3時間ぐらい仮眠して始発を待ちました。
今度は小海線終電直後を狙って朝までじっくり寝てやろう。なんかサイクリストっぽくて良いでしょう。で、始発が来たら起きて、そのまま駅を出て走り出す。(笑)
こちらが私が寝ていたホームの待合室。
朝は中央本線の始発電車で起こされます。
佐久甲州街道へ出発
FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ計画」
Date: Wed, 07 Aug 2002
さて自転車は最近やっと出来上がったわびさび2世号です。
こいつは「MTBでツーリングですか?」って例の雑誌の広告に「そうですよ、いけません?」と言ってやる為の自転車だったんですが・・・
ちょっと失敗しました。だれもMTBと認めてくれない。フキフキ
"A^^;
一番の敗因はWレバーを付けてしまったことでしょうか?
いやほんのしゃれですぐラピッドファイヤーに戻すつもりだったのですが、なんか慣れちまって。「ツーリングお茶の子さいさいMTB」のはずが「山サイお茶の子さいさいポタリング車」になってしまいました。(T.T)
自転車も組み上げ出発です。ルートは小海線沿線である佐久甲州街道。
古くは甲州往還と呼ばれ、甲州街道韮崎から若神子(須玉)を経て平沢峠を越え信濃に入り、八ヶ岳連山の裾野を千曲川沿いに中山道岩村田に、更に北国街道小諸に至る道です。
甲斐小泉駅
こちらはしばらく走った先の小海線のローカル無人駅。甲斐小泉駅だったかなぁ。そうでした。
無人なのでホームにも入れます。なんかカッコええベンチ。このあたりから清里までは別荘地なんで、駅までお洒落ですね。
良い天気でした。
淵野辺・JR最高峰の地点
FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ計画」
Date: Wed, 07 Aug 2002
小淵沢の標高は886m(以下全てぐらい)JR最高峰の野辺山手前が1373mで標高差約500m。ちょっとありますね〜。
信濃川上から三国峠ぐらいでしょうか? その割に「峠」という感じが全くない。これはチト割りが合わないか?
でもまあ、小海線制覇(笑)の為には素直に線路沿いを走るしかない。
淵野辺から信濃川上までは5月の三国峠中津川林道試走で走りました。佳いところですね。地図で見る限り海ノ口までの旧道もおいしそうです。
こちらは淵野辺駅手前、JR最高峰の地点です。
この踏切がJRの線路でもっとも標高の高い処。
FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ御報告」
Date: Mon, 09 Sep 2002
先週行ってきました。(^o^)
100kmに満たない小海線の沿線を4日かけて帰路1日の計5日間です。
私には最長ロングツーリングですね。
まあ、私の走り方はどこまで走るってんじゃなくて、どことどこの間で遊ぶって感じですからほとんど道草、寄り道ですが。
小淵沢・野辺山間ですが、
> 信濃川上から三国峠ぐらいでしょうか? その割に「峠」という感じが>
全くない。これはチト割りが合わないか?
なんて書きましたが、いや、なかなか良かったですね。(^o^)
しかし清里の入り口はなんじゃありゃ、ディズニーランドか?
"A^^;
そっから先ではほんのちょっと山サイ気分を味わえるところも有ります。勿論道草、コースを外れてですが。
しかし小海線の路線距離では信濃川上まで31.5kmなんですが、私の走行距離は50km。海瀬までは同56.5kmが私は100km。その差は線路と道路の違いよりも道草のせい?
戦国時代には武田信玄の信濃攻略の極めて重要な軍用道路の一つであったそうで、その道の最大の難所はこのあたり野辺山原。そして街道を横切る幾つかの河川だったそうです。野辺山の先にはその武田信玄の佐久侵攻のときの城跡もあります。
FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ御報告」 Date: Mon, 09 Sep 2002
途中で海ノ口城址の道標が有りました。こんなところに城持ち大名は居なかったはずなのですが行ってみました。しかし山道を登れど登れど海ノ口城址の矢印ばかりでなかなかそれらしきところへ出ません。
地図で確認しても城のマークなど無し、で周囲を見渡したらずっと奥、登り口から標高差300mぐらいの山の名前が「城山」。 これか〜! まだ半分しか来ていない。
諦めて下りましたが、山サイとしてはショートコースですが思わぬところで遊べてなんか得した気分でしたね。(笑)
帰ってから調べたところ、やはり戦国中期、武田信玄が初陣で攻め落としたとかいう本当に戦の時しか使わない実質本意の山城の様です。
これはどの辺だったか?
FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ計画」 Date: Wed, 07 Aug 2002
その先が悩むところ、八ヶ岳中腹を西山林道ってのがくねくねと走ってますね。ダートも有るみたい。これは惹かれる。しかしこれを走ると中込まで千曲川・小海線を離れてしまう。う〜ん。
中込あたりで宿を取るとしても一日の後半が見積もりの出来ない林道ではちと問題か?
1日の前半ならいいんだけどね〜。フキフキ
"A^^;
安全をとって松原湖までは線路沿いか? このあたりも西側山麓にくねくねといろんな道が。じゅるっ。(*^,^*)
松原湖
こちらは松原湖の弁財天宮。しかし松原湖への登りはきつかったぁ。
確か諏訪神社上社だったと思います。そうでした。
ここも避暑地としては有名らしく、あちらからは小さなお姉ちゃんと弟が。大学の合宿なんかもよく使うらしいですね。
東馬流「秩父戦士の墓」
海瀬駅のずっと手前、小海の先の東馬流に「秩父戦士の墓」と。
これはびっくりしました。いや、こちらの方に来たことは知っていましたが、ふと目を止めたらそれだったので。秩父戦士って1884年の秩父事件の秩父困民党のことですね。
1884年11月4日に秩父困民党指導部は事実上崩壊、制圧されましたが、一部は長野県北相木村出身の菊池貫平を指導者として信州方面に進出。11月9日には佐久郡東馬流で鎮台兵の攻撃を受け壊滅しました。
こちらがその墓。右に建っているのが菊池貫平の子孫により昭和8年に建てられた記念碑「秩父暴徒戦死者の墓」です。昭和8年と言えば軍国主義の真っただ中、そんな時代にお国にたてついた秩父騒動の戦死者の慰霊塔なんか良く建てられたなぁ、と思うんですが、「暴徒」の2文字を入れることで許してもらったのでしょうか。
別に私は鉄ちゃんじゃありませんが、こういう処にくると、線路ってええなぁ、と思ってしまいます。
なんか人間の必死な営みみたいで。
古民家の集落
海瀬駅の手前に宿場町のような古民家の集落がありました.。八千穂ぐらいだったかなぁ。なんせ5年前のことですから。
それに大きな新道じゃなぃて裏道を通っていたもんで。でもこの裏道が旧道、昔の「甲州往還」だったんでしょう。
こちらはなにかの問屋さんだったのでしょうか?
海瀬駅
海瀬の駅です。こちらも無人。十石峠旧道の道普請のときはいつもホームのこの辺で自転車を組立、十石峠へ向かっていました。
宿は海瀬館だったのですが、場所を勘違いしていて十石峠方向で探していたんですが、実は線路のこっち側。 (;^_^A アセアセ…
2007.04.22記
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