鎌倉の紅葉 2005/切通編  化粧坂切通から銭洗い

さて、そろそろ化粧坂に行きますか。ほんとは途中で曲がると言ったのはこの露地です。自転車が向いている方に曲がります。真っ直ぐ行くと海蔵寺です。

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この小径も私の好きなところ。鎌倉から北鎌倉への帰り道は半分はこの道から帰ります。さっきの亀ヶ谷切通しは「行きは良い良い帰りは怖い」なのでね。歩くだけでも大抵の人はゼエゼエハアハア。
まあ、私の友人にはあれを自転車(それもロードレーサーで)登ってしまうのが何人か居るのですが、私はこっちで自転車を担いで登る方が性にに合っています。


この小径をちょっと行ったところに「YANO」と言う看板が。

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下の写真のお宅で普通の住宅なんですが、玄関を入った居間が有田焼のお店せになっています。「もやい」とはちょっと違った雰囲気で「民芸」ではありませんがちょっと覗いてみるのも良いかもしれません。上品なお部屋で上品な奥様に丁寧に応対されて、私はちょっと覗くだけのつもりがついついお皿を2枚買ってしまいました。

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さて、この突き当たりが化粧坂です。化粧坂は「けわい坂」と読みます。

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名の由来は様々。平家の大将の首を化粧して首実検したからという説、この辺に遊女がいたからという説、でもそれは後からの当て字から連想したものでしょうね。

そうそう「遊女」はあの当時の読みは「あそび」で、エッチなことをしてくれる女性のことではありません。今で言う「芸能人」。でも、今の芸能人よりずっと教養があります。オペラ歌手ぐらいですかね? 「静御前」は白拍子でしたが、あれも「遊女」の一種です。
 「曽我物語」では父の敵討ちにはやる十郎を確か兄や母親が困り果て、身を固めればそんなことえを考えなくなるだろうと「敵討ちにはまず敵の動向を知らねば、幕府の上層部と親しい遊女の虎御前と結婚したらどうだ」と持ちかけたとか。その虎御前がこのあたりに住んでいたと。

こっちかな?と重うのは険しい坂が変じたという説、坂の上が商取引が盛んで「気和飛坂」、木が多いので「木生え坂」など。文献としての初出は、鎌倉時代の「吾妻鏡」で「気和飛坂」です。歴史の蘊蓄?はこちらをご覧下さい。

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鎌倉時代に本当にこの道だったのかどうかは判りません。実は道は何本もあります。

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この画像は自転車を担いだ状態で撮したもの。亀ヶ谷切通しを鎌倉側から自転車を押してゼエゼエハアハア登るぐらいならここを担いで登った方が私には楽ですね。「そうだよ、俺は山岳サイクリストだったのだよ!」と自覚出来るし。(笑)
まあ最近は過去の話になりつつありますが。フキフキ "A^^;

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登った先に地図があります。どう通ってきたのかと言うと、地図の上の@が亀ヶ谷切通し、そこから赤い線をいま四角の「現在地」まで来たところですね。この地図の看板の少し先が、北鎌倉(ハイキングコース)編のここです。

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クリックすると詳細地図に

赤い線がこの「切り通し編」、青い線が「北鎌倉(ハイキングコース)編」、黄色が「鎌倉駅編」、緑が「お車編」のコースです。


さて、「北鎌倉(ハイキング)編」と本編「切通編」の合流地点の先がかなり急な坂道になっています。そしてその脇から山道が。そちらは「銭洗い弁天への山道」でご紹介した道ですね。

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素直に舗装路を下ると右側が銭洗い弁天です。この向こうはこちらをご覧下さい。

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