銭洗弁天への道・北鎌倉編 源氏山公園・葛原岡

さて、「大堀割」を越えて100mも行くかいかないかで細い山道は広い平場に出ます。

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ここが源氏山公園、場所が良く判らないって?
この地図の左上、赤いの処ですよ。まあ正確に言うと真ん中のくびれたところから左が葛原岡(くずはらがおか)エリア、右が源氏山エリアです。源氏山自体は右下の緑のの処。
奥州「後三年の役」のとき、八幡太郎義家がこの山に源氏の象徴である白旗を立てて、近隣の武士達の結集の目印にしたから源氏山と言い伝えられていますが、その言い伝えがいったいどの時代からなのか、江戸時代ぐらいじゃないですかね?

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すぐ右が葛原岡神社(くずはらがおかじんじゃ)です。と言ってもそんなに歴史がある訳ではなくて、鎌倉時代末期、幕府によって捕らえられこの地で処刑された後醍醐天皇の臣、日野俊基を祀る為に明治21年(1888)に建立された神社です。まあ鎌倉宮と同じような経緯ですね。

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こちらがその日野俊基の墓。

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日野俊基の墓はこの画像の右手に当たります。で、ここから誰もが目指すのが銭洗い弁天ですが、そうそう、あの横道に逸れて行ったカップルに再び出会ったのもここで、やはり銭洗い弁天への道を聞かれました。その銭洗い弁天ですが、たいていの人は右の広い道を進みます。

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が、私がいつも自転車で通るのはあの水飲み場の左の地道です。
昔、鎌倉徘徊ポタでみんなにこのすばらしい道に案内してあげようとしたら・・・

しばしの小休止の後、いかにも幹事好みのケモノ道に分け入ろうとする岩田さん。しかしこんな時には日頃の行いがものを言う。 殆どのメンバーはリーダーを冷たく見捨て、運命を共にしたのはげんさんとZINさんの 2人だけ。
 残りは " 常識人 " のジェイさんに率いられ、舗装路を降りて「本隊」と再会。
 こんな時はやはり君子危うきに近寄らず、うんうん。

なんてやつらだ! 思い出しても腹が立つ! (`ヘ´) プンプン。


見て下さい。こんなに雰囲気の良い道があると言うのに。

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こちらは出口付近から振り返ったところ。鎌倉の帰りは良くここを通るのですが、真ん中のあそこだけ自転車を降ります。しかしホントに森林浴って感じの木々の匂いも良いのにな〜。

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極々普通の道でしょ? 普通の道に沿った土道ってだけなんですから。
まあ、左におっこちちゃうとちょっと大変なんですが。
でもこんな良い道に案内してあげようとしているのに
「鎌倉の三悪人」はあんまりじゃありませんか。(ノヘ;)シクシク..

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合流地点には野鳥の説明が。でもサシバ(鷹)が見られたらラッキーですね。
私は源氏山では見たことがありません。

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いったいどう通ってきたんだって?
(1)が葛原岡神社、(2)が日野俊基の墓、(3)(4)が今の小径で、現在は(5の処に居ます。
これがら)(6)の方に向かいます。

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でも時間があればちょこっと左(地図だと右)へ行って化粧坂を見てくるのも良いかもしれません。ちょっとだけ下りてまた登ってくれば。

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これは2月に会社の仲間と来たとき。後ろに居るのは私に予定外の担ぎ山サイをさせた張本人です。ちなみにこの二人にはこのサイトのことは極秘事項で御座います。(笑)
ちなみにこのときの参加者数名にこういう吹き出し付き記念写真をCDに焼いて差し上げたのですが、この女の子からは「あたしはこんなキャラクターじゃない!」と抗議されました。
でも他の人のは「面白い!もっとやりなさい。」だって。(笑)