2006.09.24   宝戒寺の萩と秋季彼岸護摩法要

宝戒寺の萩

さて、宝戒寺です。実家の両親を呼ぶはずだったのですが、体調が優れないと言うことで中止に。

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白い萩の花は正真正銘の真っ盛りです。

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宝戒寺にはには珍しい赤い萩の花も本堂に向かって右側にすこしばかりあります。

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秋季彼岸護摩法要

本堂に青紫の幕が下がって、中からは読経の声が。お寺の人に聞いてみたら1時からお彼岸の法要があるとのこと。檀家の方々なのか続々と集まってきます。
お一方、どこかでお見かけしたようなご老人が、と思ったらこないだの鶴岡八幡宮流鏑馬神事で総奉行をなさった日本画家の方ではないですか。じーっと見ていたら目があっちゃいました。フキフキ "A^^;

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私も中に入ってみました。毎月二四日護摩法要だったか護摩供養だったかで「どなたでも」とあったので。で、今日は月例の護摩供養ではなくて、秋季彼岸護摩法要、それとも秋季彼岸会と護摩法要? 良く判りません。

あの読経と、杢行、太鼓、鐘?のリズムはその場に居ると本当に神妙な気持ちになります。神社じゃないですから「祝詞」とは言わないのでしょうが、何と言うのかなぁ、それを聞いていたら、宝戒寺と杉本寺が合同でやってると言っていたような。解りませんが。

 護摩に移る前の中盤に三人のお坊さんが立ち上がってお経を唱えながら四方に花びら型のカードのようなものを何度も撒きました。あれは蓮の花びらのつもりかなぁと、多分当たりでしょう。 それをお寺の人が1枚づつ分けてくださったのがこちらです。

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書いてある絵柄もこれは蓮の花びらですよねぇ。綺麗です。ちっちゃな額でも買ってきますかね。

しかし一時間半に渡って正座していました。昔取った杵柄・・・、の効力などとっくに消えているはずで、いつ終わるのかも解らないし、後でちゃんと立てるだろうかと不安だったのですが、ちゃんと立てました。(ヨカッタ〜)

護摩

護摩は如何にも真言密教と言う雰囲気があります。その先を調べていくと、真言は「密教」なんだ、と言うか陰陽道にも通じるような「呪(しゅ)」な世界にも。いや、「呪(しゅ)」を「のろい」と読むと暗い面に見えますが、「祈願」を「法力」「祈祷」により実現すると言った方が良いかもしれませんが。

護摩と言うのは、もともとはインドで紀元前二千年ぐらいに出来たヴェーダ聖典に出ているバラモン教の儀礼だそうで、紀元前後五世紀頃に大乗仏教がバラモン教の神々と共に仏教に取り入れたもののようです。
サンスクリットの「ホーマ」を中国で音訳して書き写した語が「護摩」なんだとか。「ホーマ」と「ゴマ」じゃ全然違うじゃないか! と思うのは「ゴマ」が漢字の日本語読みだからですかね?

護摩の炉に細く切った薪木を入れて燃やし、炉中に種々の供物を投げ入れ、火の神が煙とともに供物を天上に運び、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰から生まれたものである。火の中を清浄の場として仏を観想する。 (密教の修法(護摩)について)

これはなんか解りますね。山で焚火を見つめているとなんか気持ちが引き込まれて行くような気がします。清浄の場と言うのも天に登らせると言うのも仏教に通じていなくとも解る気がしますね。

何はともあれ私はひょんなことから護摩法の四種法によって「息災」「増益」「敬愛」「降伏」を、いや「降伏(調伏)」をされてはたまりません(それにあれは秘法中の秘法、衆目の中ではやらないとおもうぞ)。でも「息災」「増益」ぐらいは授けて頂いたと言う訳です。

不動明王

「おはぎ」も授けて頂きましたが。いや、普段は入れない書院・客殿に入れる唯一の機会だったので。写真はありません。カメラはバッグの中に仕舞ったので。奧の書院の床の間の軸は真っ赤なお顔で不動明王だったのでしょうか、でも手が何本も。不動明王は腕は2本だったよねぇ、と思ったら「密教の図像集などには多臂の不動明王像も説かれる」のだそうです。こちらは宝戒寺は真言密教ですからねぇ。やはり不動明王だったのかもしれません。

不動明王はサンスクリットではAcalanatha(アチャラナータ:不動の守護者)。古代インドではシヴァ神の異名ですね。密教では「ほとけ」は「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という三つの姿で現れるとされ、不動明王は大日如来の教令輪身。「もっとも救いがたい衆生(俺のことかい?)をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている」のだそうです。

そういえば十一面観音もシヴァ神が元と言われていますね。仏様の系図は海道平氏の系図よりやっかいです。フキフキ "A^^;

そうう、それより前、本堂での護摩法要の最後に、こちらの和尚様のお話がありました。正確には再現できませんが。

仏の教えは知識としては理解できても行うのはなかなか難しい、しかしいろんな宗派の方が必ず言うのは簡単なことでも良いからまず一歩踏み出すことです。

と言うような、解りやすく良いお話でした。

卒塔婆

で「おはぎ」とお茶を頂き、本堂に戻ってお礼にいつもよりずっと沢山お賽銭を入れて表に出ると、檀家の方々は法事の間廻りに立ててあった卒塔婆を持って裏のお墓の方に行く人、大事に包んで持ち帰る人など。

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卒塔婆と言うと、子供の頃には幽霊の付属品?みたいな感じに思っていたんですが、違うんですね。(当たり前だ!(,_'☆\ ベキバキ)
釈尊の入滅後、その遺骨(仏舎利)を分骨しインド各地に埋骨されてその上に塔を建てた塔を古代インドのサンスクリット語で「ストゥーパ(stupa)」と言い、その音を漢字で書いたのが「卒塔婆」。実はそれが大型化したものが「五重の塔」。象形化した石塔が「五輪塔」なんだそうです
「五重」「五輪」の「五」は五大の要素、宇宙を構成している地・水・火・風・空の五つのことなんだそうです。で、それを簡略化したのが木の板の卒塔婆と。


白い彼岸花の向こうのお地蔵さんのそのまた向こうに見える建物が私がおはぎを頂いた、再建・新築された書院・客殿です。

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本堂の脇には

本堂の脇、南側には「平成水琴窟(すいきんくつ)」があります。最初は何だか解らなかったのですが、だってこんな形の水琴窟なんて・・・。でもしっかりと水琴窟の音がします。

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逆、と言うかさっきの彼岸花の近くに古い井戸が。古いと言っても私の子供の頃の話しですが。なんかこの井戸を見ると懐かしく、また楽しくなりますね。こちらではやったことはないですが、東慶寺や浄智寺ではよくガッシャンコギャッシャンコとやって遊んでいます。(笑)

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