賄い家の民芸・工芸 石飛勝久さんの飯椀他

 

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小さな飯椀です。径は11cmぐらい。うちの娘にはこれを使ってもらいたかったんですが、3歳のときに新垣栄三郎窯の飯椀を選ばれてしまいました。あれも良いけどこれも可愛くて良いと思うんだけどな〜。でもまあ、3歳の女の子が赤絵の飯椀と模様の何も無い白磁のこれと見せられて、白磁を選んだらそれはそれで気色悪いかもしれません。(苦笑)


こちらの飯椀は大ぶりです、径が13cm。昔、京都のやまと民芸で、ちょうとこの上の小さな飯椀を大きくしたようなものを手に入れ、気に入って常用していたのですが割れてしまいました。
それが割れる前に予備にとこちらの大ぶり飯椀を買ったのですが、その常用大ぶり飯椀が割れてもこちらの大ぶり飯椀が昇格することはありませんでした。代わりに常用飯椀のポジションを得たのは壺屋のデカマカイ。私の友人はこういうカチッとしたものを高く評価するんですが、私は同じ石飛さんのものでも、丸み、柔らかみのあるものの方が好きみたいです。丸土瓶なんで丸みの王様ですね。(笑)

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この小さな片口は使い道も思いつかないままイッチンのサンプルで買ってしまったものです。
おまけにこれだけ土が違うような気がします。ほんとかどうかは判りませんが半土のような?
そのせいか画像では判りにくいですが、同じ白磁ながら色合いが柔らかいです。
これまた画像では判りにくいですがかんゆが沢山入っています。いや最初からではないですが。

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粗い篭で他の器とゴチャゴチャ重ねているうちに口がちょいと欠けてしまいました。
と言うことは使っていたんですが、何に使ってたのかな〜?
多分お酒を入れてこれから盃に注いでいたのかも。径8cmの小さなものなんですが、まあ私の酒量はせいぜいこれに2〜3杯。あとはもうこれしか飲まないぞ、と一升瓶からトクトクと注いでいたような気が。


このぐい飲みは初期の頃のものです。ってあくまでも私が石飛勝久さんのものを好んで買っていた30年前から17年前ぐらいの中での話ですが。

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石飛さんのものはほとんど北鎌倉に持ってきているのですが、調布の深大寺の実家には里帰りのときに酒が飲めるようにこのぐい飲みと1ページ目の盃がひとつづつ置いてあります。
でもその2つを比べると私は盃?の方が好きですね。なんかこう阿倍晴明と盃を交わす源博雅のような気分になるではないですか♪ 
えっ、真葛に囲碁で負けた菅公の怨霊だろうって? 失敬な!(`ヘ´) プンプン。
話はズレますが岡野玲子さんの「陰陽師」、あれの原作は夢枕貘と言うことになっていますが、違いますね。まあ1/3はそうですが2/3は平安末期の「今昔物語」です。実に読み込んでいる。漫画なのに唸ってしまいます。

ところでこのぐい飲みの出番が少ないのは小さいのでちょこまか注がなければならないからってのもあるんですね。
私はお酒は好きですけど量はそんなに飲めないのですが、私がお酒を飲むのはこういう風に書き物そしながらとか、本を読みながらなんで頻繁に注ぐのはめんどくさい。
でもこのぐい飲みもなかなか捨てがたい、なんとか生かす方法はないのかと今考えていたんですが、ならば強い酒を注げばよいのかもと。で、生の焼酎を注いでみました。これに合うチェイサーは・・・・、古伊万里の蕎猪口なんか良いかもしれません。

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すると面白いことを発見。焼酎は生で飲んでもあまり味はは生きてこず、それでお湯割りが良いのですが、生の焼酎を口にふくみ、そこにお湯を飲むと焼酎の甘み、旨みがファーッと口の中に広がるではないですか。これなら割り方は6:4か7:3かなんて決める必要は無いし、一口ふくんだだけで味のグラデーションが楽しめます。これは楽しい。
何のへんてつもない古伊万里の蕎猪口との組み合わせもお互いに引き立て役となって実に良い景色です。30年経って予備役からラインに昇格かも。