鎌倉の冬 久々の浄妙寺境内レストラン 2008.2.10 |
久々に我が家の迎賓館にお客様を迎えることになりました。 「石窯ガーデンテラスに行きませんか?」、「いま何処?」、 待ち合わせ場所は鶴岡八幡宮の牡丹園。 で、合流して・・・・ いっときますがシルバーパスじゃありませんよ。鶴岡八幡宮の槐 (えんじゅ)の会の会員証です。 という本日のお客様はこの面々。 鶴岡八幡宮の馬場道(流鏑馬をやるところ)の近くに1本だけ、梅が咲いていました。 向かった先はここ、浄妙寺で御座います。手前は緑梅なんですが、流石にまだですねぇ。 総門を潜ると、ロウバイが。ちょっと盛りは過ぎましたが綺麗でした。 そして白梅も。 その隣には紅梅も。でも紅梅はこれからですね。 本堂の前では、お嬢さんが童心に返って、残雪を踏みつけて遊んでいました。 本堂の脇をすり抜け、お茶室・喜泉庵の脇もすり抜けて、向かった先がここ、 元々浄妙寺の境内のこの場所を貴族院議員(多分伯爵ぐらい?)が買い取ったのか、大正11年にこの洋館を建て、その後持ち主は転々とし、一時は鎌倉市の所有になったものを浄妙寺が譲り受けて、建物付きで元の持ち主の元に戻ったたと聞いています。 ネットに紹介するときに、場所は教えたくなかったので、「境内レストラン」と銘うって鎌倉ポタオフの案内ページに画像を出したので、以来すっかり「境内レストラン」で定着してしまいました。 (20〜30人ぐらいの私の周りの自転車乗りにね。) 生まれも育ちも鎌倉原住民のジェイ君は知らなかったようで、出し抜かれたと悔しがっておりました。わっはっは (^o^) ところで、ここが何で我が家の迎賓館になったかというと、昔は鎌倉野菜と豆のスープ(パン付き)だと900円で済んだので、我が輩の休日のメインダイニングだったのですが・・・・ これだけのロケーションなら倍にしたって十分客は来るだろう、なんて思っていたら本当に倍になってしまって、おまけに鎌倉野菜と豆のスープは無くなってしまって。 この敷地が洋館付きで浄妙寺に戻ったときに、洋館の一角に石釜(ペチカ?)があったので、これを改造してパンを焼こうかと言うことになったとか。この薪はその石釜でパンを焼く為のもの。「石釜ガーデンテラス」の「石釜」はそのパンを焼く窯のことです。 その手前の梅の古木は、花はまだだねぇ、と思いきや、えらいちっちゃな花が咲いていました。そういう種類なんかしら。 料理が運ばれてきました。ワインも豪勢にフルボトルで。 ・・・・と、そのあとで、私の財布には千円ちょっとしか入っていないことに気がついて大慌て。 しかしジェイ君て、昔から変なやつだとは思っていたけど、ホント変なやつだね。 ・・・まあ、「岩田さんにだけは言われたかねえやい!」と帰ってくるでしょうが。(笑) 室内とパン釜の様子、イングリッシュガーデンの様子も宜しかったらどうぞ。 食事が終わって「お茶しましょ」と行ったのが、これまた浄妙寺境内の茶室・喜泉庵。 喜泉庵は天正年間(1573年〜1592年)に建てられたものを、平成3年に復興したものだそうです。 入り口には古い駕籠があります。修復はしていなくてボロボロですが。何でお寺に駕籠があったんでしょかね。 お茶室と言っても、利休の不審菴や、裏千家の今日庵とは全然違いますが。 というか、今はお茶室・お茶屋に使っているというだけで、この様式は書院・客殿でしょう。 でも私はここでお茶を頂くのがとても好きです。水琴窟もあるし。正面のものは違いますが。 とまぁ、のんびりくつろいで、浄妙寺を後にしようと思ったら、門の向こうで止まってしまって3人ともなかなか出てこない。やっと出てきたと思ったら・・・・ 中からお寺の人(ご住職の奥様?)に呼ばれて慌てて戻って行くではないですか。 何やってんの? じょうがないので見にいったら・・・、 「岩田さん、受付猫〜♪」だって。これかい、これを待ってたのかい。 どうも男性の客人2名は、お茶室で肩がこったようなので、もうちょっとリラックスしたところでお茶をし直し。 旧華頂宮邸こと賄い侯爵邸(えっ、逆だろうって?)を脇に見ながら詫間ヶ谷の坂を登り、そのまま山岳サイクリングに。 私が悪いんじゃありません。お一人さまが逗子へ帰るので、ジェイ君が「このまま真っ直ぐ行くと近いんだけどね。」と言ったのがきっかけなんで御座います。 他の季節は浄妙寺と石釜ガーデンテラスindexからどうぞ |