兵の家各流・平氏    伊勢平氏庶流

伊勢平氏・貞季流

新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集 [第11冊] p15

平貞季

  • 貞盛−維衡−正度−貞季−(子:範季、正季、兼季、兼信) (尊卑分脈)
  • 従五位上 駿河守

平範季

  • 貞盛−維衡−正度−貞季−範季−家貞 −貞能 (尊卑分脈)
  • 従5位上 筑後守(尊卑分脈) 
平家貞

[父、諸説あり(平家房,筑後守平範季,平進三郎季房)]平貞季流。
平家方人物辞典  では 平正度−貞光−家房−家貞−貞能

  • 筑後住人→北伊賀武士団
  • 鞆田荘代官。忠盛・清盛郎党 応徳元年(1084)誕生
  • 平正盛の六条院に鞆田荘寄進し、荘司
  • 長承元年(1132)11/23、殿上闇討で平忠盛守護のため庭に待機。兵衛尉(左兵衛尉?)
  • 長承3年(1134)海賊追討→閏12/12、左衛門尉(左兵衛尉?)。保延元年(1135)海賊追捕
  • 任平4年(1154)1/23、検非違使
  • 久寿2年(1155)1/6、従五位下
  • 筑後守(平治の乱頃)。平清盛の太宰大弐の目代
  • (1158)頃には出家?
  • 永暦元年(1160)5月、肥前豪族日向通良追捕。
  • 仁安2年(1167)没)
平貞能(,貞義,肥後入道,以典)  

平家方人物辞典  平正度−貞光−家房−家貞−貞能 

  • [父、平家貞]平貞季流。清盛・重盛郎等
  • 永暦元年(1160)頃には従五位上筑後守。検非違使左衛門少尉。
  • 仁安4年(1169)筑前守。肥前(肥後)守。
  • 治承4年(1180)源頼朝旗揚げの為、大番役で在京している宇都宮朝綱・畠山重能・小山田有重の身柄を預かる。彼等の助命帰国を(知盛に?)取計らう。
  • 治承5年(1181)4/14〜寿永2年(1183)6/18、鎮西鎮圧(源為朝息子追討)より帰京。
  • 7/25、平家都落ちに同道せず平重盛遺骨を高野山へ改葬(太宰府落ち後説:九州に留まり後逐電←筑後に父家貞の領があった)。
  • 元暦2年(1185)6月頃、宇都宮朝綱を頼り東国に。出家し、塩谷郡山田で余生送る。

平正季

  • 貞盛−維衡−正度−貞季−正季
  • 右京進、大監物、佐渡守、従五位上

平兼季

  • 貞盛−維衡−正度−貞季−兼季−盛兼 −関信兼−山本兼隆(尊卑分脈)
  • 従5位上 上総守 
平盛兼 

左尉 佐渡守 和泉守 (尊卑分脈)

「保元物語」には鳥羽上皇崩御のとき「内裏高松殿警護を源義朝・足利義康・平清盛、鳥羽殿警護を源光泰(美濃源氏の出雲守源光保)・平盛兼に命じる」とある。このとき和泉守

「本朝世紀」久安3年(1147)7月24日条 に「佐渡守平盛兼。平盛時。源親弘。散位源義国。主殿助同時光。 各渡御前。義国以男義康為代官。自身不参云々」 足利義康

関信兼(関判官代平三郎兵衛兼行)

左衛門尉、正五位下、和泉河内守 (尊卑分脈)

平家方人物辞典  保元物語 

  • [父、和泉守平盛兼]伊勢平氏。伊勢国鈴鹿郡関谷
  • 久安3年(1147)11/14、右兵衛権少尉
  • 平2年(1152)1/17左衛門少尉
  • 平4年(1154)2/21(久寿2年(1155)2/1)、藤原頼長と乗合事件・狙撃、解官
  • 保元元年(1156)5/19、還任。保元の乱に天皇方に参戦
  • 保元2年(1157)1/24兼検非違使
  • 仁安2年(1167)頃河内守
  • 承安4年(1174)頃和泉守
  • 治承3年(1179)1/19正五位下
  • 治承4年(1180)1/28、出羽守
  • 12/2、近江道追討の平知盛に従軍。正五位下
  • 元暦元年(1184)7/19、近江合戦。8/10解官。9月、領地没収
  • 元暦2年(1185)初頃病死
山木判官兼隆

右衛門尉。安元3年(1177)5月頃まで検非違使。父関信兼に勘当され伊豆国配流。
源頼政死後、堤信遠の後見で平時忠知行・伊豆守平時兼の目代に。
治承4年(1180)8/17、源頼朝挙兵で討死。
平家方人物辞典  

和泉判官兼隆と云は、平家の傍親和泉守信兼が嫡男也。八牧の館にあれば、八牧判官と云。院宣を給る上は、先兼隆を夜討にすべし、急ぎ相計と宣けり。『源平盛衰記』巻第二十 八牧夜討

 

平宗清(柘植,つげ,弥平左衛門,弥平兵衛)

  • 平正度−貞光−家房−季宗−宗清

    [父、右(左)衛門尉平季宗]平貞季流。平家貞の甥。妻、桑名維綱娘。平正盛・池禅尼・頼盛郎等。伊賀住人。
    平治元年(1159)12月、尾張守目代。永暦元年(1160)2月、平治の乱で逃亡した源頼朝を捕らえ、京に護送。源頼朝助命を池禅尼に懇願。
    仁安元年(1166)右衛門少尉正六位上。仁安3年(1168)左衛門権少尉。後白河院北面。

平家方人物辞典 

伊勢平氏・平季衡流

平季衡 

  • 平正度−季衡−(子:盛光、盛国)
  • 木工助、大夫尉、下総守、正五位上
  • 永保元年60歳没 (尊卑分脈)

子:盛光(帯刀長、左京進)−盛行(左兵衛尉)以下盛光から1数代に渡って尊卑分脈に名があり、伊勢守、尾張守、その他のの国の受領多数。官位も従五位上から従四位まで?
訳が解りません。

平盛国 1113?-1186

平正度−季衡−盛国

[父、右衛門尉平盛遠or下総守季衡7男]伊勢国壱志郡須可郷。平清盛郎等
永久元年(1113)誕生。木工允。兵衛尉。保元2年(1157)10月、右衛門尉。左衛門尉。
永万元年(1165)1月、兼検非違使。仁安元年(1166)10月、兼東宮主馬署首(主馬判官)。伊勢守。承安2年(1172)出家?。承安3年(1173)10/19、左衛門尉に還任。治承5年(1181)閏2/4、九条河原口の邸で、平清盛没。寿永2年(1183)7/25、平家都落ちに同道せず。寿永3年(1184)一ノ谷の合戦で子の平盛俊討死の悲報後、3月、源義経軍の捕虜に。元暦2年(1185)5月、平宗盛と共に鎌倉へ護送、岡崎義実に預けられる。文治2年(1186)7/25、断食・法華経読経し没

平家方人物辞典

平貞衡 

  • 平正度−貞衡−貞清−維綱−良平−桓平−宗平−政平−新平−行政−以下4代記載あり(尊卑分脈)
  • 号:阿野津三郎、帯刀長、左衛門尉、
  • 桓平は摂津守従五位下、文治5年頼朝の奥州攻めに参加