奈良平安期の寺社 荏柄天神社 |
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荏柄天神社の祀神学問の神様、菅原道真公を祀るお社で、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮とともに日本三天神の一つに数えられるんだそうです。 荏柄天神社の由来でそれが何で鎌倉に? と言うとなんでも1104年(長治1年)に雷雨と共にここに雷が落ちたらしいです。そんで「お静まり下さいませ〜!」と天神様(菅公)を祭ったと。 もうちょっと真面目に書きますと、長知元年8月、雷雨とともに雲に乗り、怒りの表情をした黒色の束帯姿の天神画像が落ちてきたと。里人はこれを恐れ、相模国衙が国解(報告書)を堀河天皇に上奏し、その地に瑞離(しきみずがき)を構え、社を建てて画像を崇収したことに始まると鎌倉国宝館の「特別展 荏柄天神社 九百年」と言う小冊子に書いてあります。 「国衙が国解」までは書いていないですがそういうことです。これは信じて良いでしょう。 もっとも天神画像が落ちてきたと言うのは良く判りませんが。(笑) 1180年に頼朝が鎌倉に入り、大蔵に館を築いたときにはこの荏柄天神社を鬼門の守りとしたとか。吾妻鏡にも多くの記録が残されています。有りすぎて省略、(笑) こちらが山門?から外を見たところ、長い階段があります。しっかしも〜、君達ええかげんにしなさい!フキフキ
"A^^; 荏柄天神社の梅こちらは梅の頃、え〜と、2月20日ですね。菅公と言えば梅ですね。家紋が梅だと「我が家の祖先は菅原道真公に違いなし」とか言われます。ちなみに我が家は家紋が藤だから藤原氏だろうとか。(笑) 荏柄天神社のお社については?このお社は三間社流造りと言う様式だそうで、綺麗な朱で塗ってあるのでなんか新しそうですが、実は鶴ヶ岡八幡の若宮よりも常に古いんです。何故かと言うと、1622年の鶴ヶ岡八幡の造営のとき、古い若宮を貰い受け、こちらに移築して社殿としたそうです。鶴ヶ岡八幡の若宮は鎌倉時代末期の1315年に消失して翌年再建、以来大修理を行いながら1621年まで続いていますから、こちらの本殿は鎌倉時代のものと言って言えなくはありません。 荏柄天神社の桜しかし桜も良かったですよ。 ちなみに門を入って右側に大きな銀杏の木が有るんですが、ここに束帯姿の天神画像が落ちてきたと。それで村人がそこを踏まないようにと銀杏を植えたんだそうです。ほんとかね?(笑) 荏柄天神社と関取場ところでこの近くの関取場と言われる関所があったのですが、そこは戦国時代の後北条氏がこの荏柄天神社保護(収入)の為に作ったものらしいです。私はそれを小学生に教えてもらいました。 他の季節は鎌倉の寺院と神社 index・荏柄天神社 からどうぞ |
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