奈良平安期の鎌倉の寺社 |
|
相模国鎌倉郡には頼朝以前の鎌倉には思いの外多くのお寺や神社があります。それも奈良時代からのものが。不思議ですね〜、何ででしょう。と言う前にそれらのお寺や神社をリストアップしてみます。画像をクリックすると各ページにリンクします。 甘縄神社 710年正式には、甘縄神明社(あまなわしんめいしゃ)と言うんだそうです。鎌倉でもっとも古い神社で710年に染屋太郎太夫時忠が祭ったとの言い伝えがあります。1081年に源義家が社殿を再建し義家の氏神になっています。詳しくはこちらへ 長谷寺 天平年間736年正式には海光山慈照院長谷寺。よく「藤原房前が徳道上人を鎌倉に招いて736年に創建した。」なんて良く書いてあるんですがホントでしょうか? 御霊神社(鎌倉権五郎神社)はっきりとは解りません。これもおそらくは元八幡宮や荏柄天神社と同時代にここに建てられたものではと、詳しくは画像をクリックしてください。 詳しくは画像をクリックしてください
星井寺 天平(729-749年)年間極楽寺坂切り通しの入り口に鎌倉十井のひとつ「星月夜の井(ほしづきよのい)」という井戸があり、そこが@星井寺で天平(729-749年)年間、聖武(しょうむ)天皇の時代に杉本寺、岩殿寺と同じく行基によって創建されたとのことです。詳しくはこちらへ 佐助稲荷はっきりとは解りません。おそらくは元八幡宮や荏柄天神社と同時代にここに建てられたものが前身ではと、詳しくは画像をクリックしてください。 詳しくは画像をクリックしてください
荏柄天神社 1104年このお社は三間社流造りと言う様式だそうで、綺麗な朱で塗ってあるのでなんか新しそうですが、実は鶴ヶ岡八幡の若宮よりも常に古いんです。何故かと言うと、1622年の鶴ヶ岡八幡の造営のとき、古い若宮を貰い受け、こちらに移築して社殿としたそうです。 杉本寺 天平年間734年大蔵山 杉本寺( だいぞうざん すぎもとでら
)・・・でも(さんぼんじ)とも。ここはお客さんを案内するときの私の定番です。もっとも下から眺めるだけで上に上がることは少ないのですが。 岩殿寺 721年縁起によれば721年(養老5)に大和長谷寺の開基徳道上人が、岩窟にて十一面観音を感得。また熊野権現の化身である老翁に逢い、仏教興隆の鎮守として熊野権現を祀ったと。この熊野権現が観音堂のすぐ右手にあります。数年のちに僧行基が訪れて十一面観音の石像を安置。そのため徳道と行基の二人を開山としています。本堂裏のに小さな石窟がありますがこれが寺号岩殿寺の由来とか。 辻薬師堂神亀年間(724〜729年)に建てられたと伝えられる長善寺の薬師堂が何度も移転して現在はここに。 元八幡宮源頼義が奥州の「前九年の役」の後、1063年に源氏の氏神である京都・岩清水八幡宮を移し祀った。現在の鶴ヶ岡八幡はそれを頼朝が移したものです。 八雲神社(祇園天王社)五味文彦・馬場和雄編『中世都市鎌倉の実像と境界』の中の「中世都市鎌倉成立前史」に祇園天王社がでてきて、いったい何処だろうと探し回ったら・・・、 『吾妻鏡』に田谷の洞窟が『吾妻鏡』文治5年(1189)9月28日条で見つけたのですが、田谷の洞窟も頼朝以前から有ったようです。頼朝が聞いた話では坂上田村麻呂が西光寺と言うお寺を建て多聞天を安置したと。藤原利仁も出て来ます。
|
|