西上州道普請.7     栂(つが)峠道普請      07.05.05

朝9時に大前さんに宿まで迎えにきてもらったらなんと集合場所はすぐ近く。と言うか、何でMTB乗りがこんなに沢山集まってるわけ? 
実は翌日の6日に道普請の言いだしっぺ鈴木敦さん企画の「十石峠MTBサイクルマラソン」があって、この面々はその前日から走ろうというkurikinnさん一味だったのです。こちらのオフレポ月刊クリキン・ライド5月特大号 上州・十石街道むかし道ツアーが。
が何故かその中に愛子のパパさんが。 「何でこんなとこ居るんだよ!」と追及したら「おれ、最近マウンテンバイカーなんだもん。」だって。(笑)

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ご挨拶頂いたときには忘れていたんですがkurikinnさんとは昔にちょっと御縁があったのです。
「ほら、あのときの」と言われてやっと思い出しました。kurikinnさん失礼致しました。でもお会いしたのは初めて。
左端のサングラスなイナセナなお兄さんが吉田勝紀さん(西上州界隈山サイ雑記帳)です。私より歳は若いけど山サイでも道普請でも大先輩ですね。


こちらは大前さんの山サイ車。「Outake」のようです。「韋駄天MTBオフロード・ライディング」の著者大竹雅一さんが設計して東洋製作所が作ったのがこの「Outakeブランド」ですね。
大竹さんはシマノレーシングチームでロードからオフロードに転身、89年には全日本クロスカントリー選手権で優勝を飾り、シマノ在籍中にはディオーレXTシリーズの開発にも携わっていたという方です。私の「粗大ゴミ号」も東洋製作所ですから、この「Outake」は兄弟と言うことになりますね。そういうと大前さんはものすごく嫌がるでしょうが。(笑)

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その向こうは、おっ最新式パスハンター「わびさび2世号」のようです。渋いですねぇ。(笑)

栂峠道普請

さて、地元の福田さんも合流して道普請組4人は吉田さんの車で水の戸へ。

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道具を整えて展望山経由栂峠(つがとうげ)へ向かいます。

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ん? これは猪が何かの根を掘って食べた跡、土の湿りからこの日の早朝のことのようです。山芋とか筍なんか大好物らしいのですが、ここでは何を掘ったんでしょう。

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おっ、良いことことを思いついた! 道普請の必要な処に山芋・・・、は高いからニンジンかなんかろ道沿いに埋め込んでおくのはどうでしょう。そうしたら猪がそれをこのように掘り返して、後で我々が土を均して踏み固めればよいだけ!。名案ですね! えっ、ダメ?


しかしこうして見ると「山と渓谷」にでも出てきそうなワンシーンですが、何か変! 手に持ったり肩に担いだりしているのは何! それに腰には鋸に鉈までぶら下げて。

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私の今回初仕事はこれです。道を塞いでいた倒木をばっさり。
昨日は遠慮しましたが今日はちゃんとした道普請ですからこれが仕事です。で、上の太い枝は手斧を使ったんですが、幹も手斧で叩き切ろうとしてもなかなか切れません。そこで鋸の登場。実は小枝でもなければ鋸の方が楽に簡単に切れるんですね。じゃあ手斧は何のためかというと一振りで落とせる枝か、あるいは杭作りの為です。流石に杭の先端は鋸では作れません。

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ここいらあたりで遠くで「おーい!」と言うような声が。今のは何だろうと言っていたんですが、もしかしてあれはkurikinnさん達御一行の滑落のときだったんでしょうか? 


途中で水分補給の小休止。人によって水分にもいろいろあるようです。(笑)

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その先で4つ足動物の毛を発見。この毛は何の毛でしょう。三浦半島でもよくこういう形でハトの羽が散乱していることがありますが、オオタカなどの猛禽類の食痕です。不思議と羽しか残っていません。猛禽類が骨まで食べるとは思えないのですが、おそらくは他の動物が残飯を漁って何処かへ運んでしまったのでしょう。これもそのようなものかと。

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抜け毛でないのは毛の端に皮が一部残っていることで判ります。しかし食われたのは何だろう。食ったのは何だろう?


まだ展望山の南斜面あたりですが、私が参加する前、10年以上前の道普請跡でしょうか?

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今回は状況視察半分なので、そう大きな作業はしませんでしたが、各自が気になるところ、通りにくい処に鍬を入れて補修をしながら進みます。

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十石峠から南下する作業道との合流地点の近くで、変な看板が。 「これ訳が判らないなぁ、上へ行っても下の道を行っても水の戸って意味かなぁ」と言ったら、吉田さんが「これ、上に行ったら最悪だよ、水の戸なんかには辿りつけないよぉ」

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大前さんは「なんちゅうボケかましてくれるんじゃ! これは昔に鈴木さん達とつけた看板だよ! 上下じゃなくてこっち栂峠って書いてあったのが峠の山の処で割れちゃったんだよ!」と。わし:「そんなこと言ったって残っているのだけ見たら上下にしか見えないじゃん!」そう思いません?

あっ、見つけた! 平成8年、つまり11年前の1996年6月にこの手作りのプラスチック製の小さな道標を取り付けたそうです。栂峠と書いてある。大前さんは嘘は言っていなかったようですね。(笑)


ところで十石峠から南下する作業道ですが、5年前に十石峠からここに来るつもりで道を間違えて鉄塔の処で行き止まりになってしまったことがありましたが、あの道がここに来るんですね。

しかししばらく作業車は走っていないのか道は倒木でこれこの通り。おそらく今は長野県側の十山林道から作業者が上がってくるのでしょう。昨日通ってきたここですね。

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栂峠その1(別名:県境栂峠)

さて栂峠です。「佐久町」はその昨日通ってきたここのこと。「白岩」は信濃側北相木村の集落で栂峠を越える目的地です。しかし「ぶどう峠」とあるのは方向を示しているだけで、しばらくは作業道があってもすぐに途切れ、道が続いている訳ではありません。もちろん県境派な登山者は道なき尾根を歩いたりはしますが。

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栂峠を守るお地蔵さん。ここで我々はお昼にしました。

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ところが栂峠はもうひとつあるのです。

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栂峠その2

我々が自転車で来るときは小海駅から白岩・三寸木を越えて、栂峠川に沿って左に曲がって山に向かい、なんとも説明のしようがない処から山に取り付き自転車を担ぎあげます。そして登りついたのがここです。小さなお社がありその前に栂の大木が。

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福田さんは「さっきの県境のお地蔵さんのあたりには栂の木なんて一本も無い。もしかして栂峠の名前はここの栂の木なんじゃないだろうか」とおっしゃっていました。それは考えられますよね。
県境栂峠の前後の道は割と平坦です。信州側からくると、山を登って登りついて尾根の反対側に出るのがこの場所。そこから先は若干登り気味にしても尾根の斜面のなだらかな道をさっきのお地蔵さんの処へ出ます。逆に上野村からくると、ここからがはっきりした下り。

昔は山の中の行政区分などそこを通行する人には関係ない、あるいはそもそも無いようなものですから、もっとも印象に深いこの場所の栂の木が峠の名前になると言うことは十分にありえる話だと思います。もしかしたらあっちにも一杯あったものを木材として伐採してしまったのかもしれませんが。

さて、そのお社を前から・・・、あっ、大前さん、邪魔!

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夜の宴会

この日の宿は上野村の学生用合宿所・三岐学生の家(分校跡)で、屋根、布団、水道、ガス、冷蔵庫つき、浜平温泉しおじの湯まで徒歩1分の好立地です。昔は私はタープで野宿だったもんなぁ。他の人は車だからテントだったけど。
朝のkurikinnさん組もやってきて。管理人さんからも日本酒1升、缶ビール5本の差し入れを頂いて、大前さんもビール何ダースか仕入れてきて。みんな浜平温泉しおじの湯で汗も流して、大宴会の始まり始まり。

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自己紹介が始まったら、何と私を知っていた人がお二人も! 私が忘れていた人とも言う、すんませんm(_ _)m  おひとりはこちのページの最後にも登場した2001年秋の道普請でご一緒した青木さん。

草刈り機:ウイーン、ウウウ・・・ポタ。(歯が落ちる) 
青木さんとわし:「ギャー!!」(O.O;)(o,o;)

のときの方ですね。もうおひとりは鎌倉でろくさんなんかと裏山を走っていたときにご一緒していたらしい。それを知らずに自分の自己紹介で「鎌倉の領主であります」なんて言っちまった。
いえね、NIFTYの自転車フォーラムではそう言い張っていて「たまには出てきなよぉ」「いや〜、領地見回りで忙しくってぇ」とか。その連中が単独で鎌倉に来ているのに遭遇すると「わが領地への不法侵入者を発見! 逮捕して市中引き回しの刑に処しました!」なんて書いていたんですわ。その実そのまま鎌倉の道案内をさせられたってことなんですがね。

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kurikinnさん組にはカレーとコーヒーゼリーを御馳走になりました。おいしかったなぁ。とそこへ山サイ研の岡根さんも登場、なんか近くに渓流釣りに来ていたそうです。
途中で上野村の隣の神流町 (かんな まち) の町会議員さんも合流、と言ってもまだ20代ぐらいの若い方で普段は林業をやっておられるとか言っていたような。大前さんの横に座られたので「上野村の隣って中里村じゃなかったでしたっけ?」と聞いたら2003年4月に中里村と万場町が合併して神流町になっていたんだって。大前さんに「あっ、岩田さん4年も来ていなかったなぁ!」と言われてしまいましたが、4年どころか5年半も来ていなかったもんなぁ。

鈴木さんはお仕事で合流が遅れ着いたのは私が寝ちまってからだったらしい。朝起きたら居ました。(笑)