銭洗弁天お帰り編.2 佐助稲荷神社 |
先日ボーイスカウトの子供達がこの鳥居を数えながら登ってきました。33有るんだそうです。 やっとたどりついた本堂、小さな神社ですが、良い雰囲気ですねぇ。 振り返ってみると。う〜ん、佐助稲荷してますねぇ。 佐助稲荷の由来由来はこちらをご覧ください。ここには「頼朝が再建させた・・・」とありますが、鎌倉中心部、鎌倉群衛(現御成小学校、市役所)周辺を囲むように東北の鬼門には荏柄天神社。対角線に位置する西南の裏鬼門には御霊神社が、東南角には祇園天王社(現八雲神社)がほぼ同時期、頼朝の鎌倉入りより百年前後前の11世紀後半から12世紀初頭に建てられています。 その祇園天王社の対角線に当たるのがこの佐助稲荷であり、ちょうど鎌倉群衛の位置を守る四界にあたります。鎌倉群衛は確か平安時代の10世紀頃に影が薄れますが、律令制の行政機関(税務署)として消えてもそのあたりが鎌倉の権力者も含めた集落の、交通の中心であり続けただろうと言うことは想像できますね。 それらの位置、年代から11世紀後半にはこの鎌倉に都市とまではいかなくとも、かなりの集落が存在し、それを疫病や穢れから守る精神的結界として四方に神社を建てていったのではないかとの見方も出来ます。となると、この佐助稲荷も小さくはあってもほぼ同時期に建てられ、寂れたか朽ちていたものの場所を地元の農民あたりから聞き出し、頼朝が畠山重忠に再建させたとの推測も。そう推測したのは鎌倉考古学研究所の馬場和雄氏ですが。 佐助稲荷の境内さて、今の佐助稲荷に戻りましょう。境内の地図です。フムフム、左周りで本殿に回る方が面白そうですね。行ってみましょう。 拝殿の奧に見えるのが本殿のようです。これはもう12月も半ば過ぎの18日なのですが、山奥ではまだ紅葉も楽しめました。 ん? 鳥居の向こうを人が登っています。あれが大仏ハイキングコースへの道ですね。大仏ハイキングコースは目と鼻の先です。 古稲荷群足元を見ると、これが古稲荷群と言うもののようです。 更に登ると祠が。もしかするとこれが大昔の佐助稲荷なのかもしれません。いや解りませんが。でも岩殿寺だってもともとはこれに近いものだったですよ。
その右が本殿なんですが、下の拝殿を見ると、銀杏の落ち葉が良い景色ですね。 佐助稲荷の本殿こちらが本殿です。二礼二拍手一礼です。 尾根の上は?さて、さっきの祠からこんどは左に、さっき人が登って行った山道へ行ってみます。まあ、ちょいと難所ですが距離は短いのでたいしたことはありません。 上の写真の左上のあたりがこの写真です。立て札が解ります? 自転車の右上ですが。 右へ行くと右へ行くとすぐに大仏ハイキングコースに合流。1ページ目の大仏ハイキングコース(前編)の終点のところですね。 左へ行くと左は住宅地を抜けて大仏とあります。 急な下りになるところからもう民家の屋根が見えてきます。 この先は谷戸ですから出口はひとつです。尾根と尾根の間を舗装路を下っていけばよろしい。広いバス道路に出たところの左右がトンネル。直進すると大仏様です。 しかしそのまま真っ直ぐ駅では面白く無い、まだ時間に余裕はあるのだ、と言うお客様には次に鎌倉駅までの道草をご案内しましょう。信号の有る十字路を左(地図上では右)に曲がるってトンネルをくぐると信号が有ります。そちらの道草はこちらへお進みください。 |