寝殿造要約版 |
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寝殿造1.概要 2.構造 3.外周 4.室礼 5.内郭 6.外郭 寝殿造とは平安時代に始まり、鎌倉時代を経て、室町時代の応仁の乱で京都が灰燼と化すまで続く上層住宅の建築様式である。現在の住宅は建物と建具が一体化しているが、寝殿造では広い開放的な柱だけの空間を、扉や蔀といった開放可能な固定的な建具で外周を覆い、内部は襖のような取り外し可能な建具、屏風のような移動可能な建具、そして几帳や壁代というカーテン類で仕切って実際の生活空間を作る。そうした取り外し可能な道具類で室内を装うことを室礼(しつらえ)と呼ぶ。寝殿造とは、建物と室礼が一体化したものである。 川上貢は「社会の上層に位置した領主層の住宅(川上 貢 『日本中世住宅の研究』 中央公論美術出版 1967、p.3)」を対象に研究を進めたが、その「社会の上層に位置した領主層」とは、中世も含めて考えれば「公家」、「武家」、そして「寺社家」の三者である。ただし武士が「武家」にまで出世するのは平清盛からで、かつその屋敷の構成が明らかになるのは室町時代である。「寺社家」の屋敷も「武家」同様に平安時代、鎌倉時代においては明らかでなく、室町時代に到って史料上にその姿を現してくる。 寺社家は第一の公家と同じ基礎の上にたつ荘園領主で、中世を通じて領主権力を保持した寺院または神社の上層支配者をいう。そのなかでも、門跡寺院は公家との血縁、宮廷勢力との緊密さによって、公家没落後における公家文化の継承者的役割を果した(川上 貢 『日本中世住宅の研究』 中央公論美術出版 1967、p.3) なお寝殿造の遺構は残ってはおらず、同時代の古文書と絵巻が研究の対象であるが、一部の寺社には寝殿造を彷彿とさせるものが部分的に残っている。寝殿造は『源氏物語』の世界、建物の配置がコの字形で左右対称、庭には大きな池、とのイメージが根強いが、ここでは建築史の世界で云う寝殿造について説明する。 画像は法隆寺の聖霊院である。京で寝殿造を建てていた木工寮等の大 工(だいこう)の影響下にあった興福寺系大工によって建てられたものである。そのため、寝殿造の技法が残り、特に前面の姿は対屋を彷彿とさせる。彷彿とは させるが、僧房を改造したものであるので寝殿造そのものではない。まず前面の弘庇部分に檜皮葺の庇を追加してはいるが、その奥は瓦葺きであり、斗拱(と きょう)も三斗である。
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